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【自儘な自論】
 なぜ、キタノオゴジョが愛しいのか

【キタノオゴジョとの出会い】
北海道浦河に市川ファームという競走馬の生産牧場があります。
キタノオゴジョは、天馬と呼ばれたトウショウボーイを父として生まれ、大きなレースでは優勝できませんでしたが、誰もが夢見る桜花賞にも出走し、エリザベス女王杯では5着でしたし、古馬になっても確実に上位で駆け抜けました。
引退後は、初仔に中距離のG2を2勝したビッグサンデーが誕生し、キタノスザクが後継繁殖牝馬として活躍してくれそうです。
キタノオゴジョと出会ったのは、黒松賞に出走し優勝した東京競馬場でした。
競馬新聞の馬柱にある「キタノオゴジョ」という、ちょっと愛らしい名前も気になっていましたが、競馬場で見たキタノオゴジョの美しさと愛らしさで、ボクは「一発KO!」でした。初めての一目惚れです。
その後、キタノオゴジョが駆けるレースは、競馬場か場外馬券場へ通っていました。
人気がないときでも馬券を買っていましたので、万馬券も取らせてもらいました。
でも、それ以上に、怪我もなくゴールする姿にホッとし、嬉しかったというのが一番の気持ちでした。
ですので、引退する最後のレースは「ゴール前で時間が止まってくれ」とも思いましたし、終わったあとはボーっとしていました。




【キタノオゴジョと再会】
キタノオゴジョが引退したあとは、競馬がつまらなかったです。
張り合いがないというか、競馬に価値を見出せないというか。
そんな思いを引きずりながら仕事をしていたのですが、「競馬雑誌の仕事もしてみたい」と思うようになったのです。
その当時、広告写真を撮影しているカメラマンは、どういったジャンルの雑誌の撮影でも卑下する傾向にありました。
広告写真の撮影のほうがクリエイティブな感じでしたし、雑誌は短期で読み捨てられてしまう消耗品的な感覚もありました。報酬金額の面も格段によかったというのも大いにあります。
ですので、その時代に雑誌の仕事もしてみたいなあというように思うのは、けっこう突拍子もないことだったのです。
料亭の料理人だけどパスタも茹でちゃいますというか、カーレーサーなんだけどタクシーも運転しちゃいますとか、そんな感じでしょうか。(例えになってないかもしれませんが)

そして、「もし雑誌の仕事をさせてもらえるなら、自分が興味関心のあることで携わりたい」と思いもあり、雑誌に携わるのなら競馬雑誌が良いなあと思い、売り込みに行ったのが、当時のラジオたんぱが出版していた「馬劇場」でした。
結果として、「競馬場以外に馬がいる風景」をテーマにするページを任せていただくことになり、馬の獣医さんやイベント、お祭りなどを撮影して取材し原稿を書きという仕事をしていました。
その後、編集長との雑談で、「クラシックで優勝できなかったけど、活躍した牝馬たちが母になった姿を記事したらどうでしょうかね」などと話していました。
「企画としては面白いけど、どういう馬たちを取り上げるかにもよるので、そのあたりを整理するように」ということになり、「生産牧場も見てみたい」という興味もあり、候補として思っている馬たちがいる牧場に下交渉を兼ねて日高の牧場巡りをしたのです。
この「クラシックで活躍した牝馬たちのその後」を企画として思いついたのは、実のところ、「キタノオゴジョって、今どうしているんだろう」って思ったことが発端だったのです。
ですので、当然、いの一番にキタノオゴジョのいる市川ファームへお邪魔しました。



【なぜ、キタノオゴジョが愛しいのか】
キタノオゴジョのいる市川ファームへお邪魔しましたのは、秋が深まり、生産牧場では仔別れのころの季節でした。
キタノオゴジョは、競馬場とは違う穏やかな顔をする母親になっていました。
ボクは魅了され、市川さんのお言葉に甘えて、何枚も何枚も写真を撮り続けました。
レンズを向けるたびに、キタノオゴジョは良い表情をしてくれます。
夢中で写真を撮り、そろそろ次に約束をいただいている牧場へ向かう時間になり、辞去の挨拶をしていたら、奥から市川ファームのお母さんが「何のお構いもできなかったので、車の中ででも食べて」と、茹でたトウモロコシを袋に入れて持ってきてくれました。
秋風が涼しい中に受け取った袋は、ホッとするくらいの温かでした。
きっと、ボクのために茹でてくれたのかもしれません。

ありがたくトウモロコシの入った袋を受け取り、次の牧場へ向かう途中、3時くらいだったせいか、お腹がすいてきたので車を路肩に停め、手のひらにじんわりと伝わってくる温もりが残るトウモロコシを袋から取り出しました。
トウモロコシの真ん中をガブリと噛むと、トウモロコシの粒は甘さと大地の香りを含んでいました。
すると、目の前が霞んで見えなくなってきます。
涙です。
ふいに、涙が溢れ出してきました。
不思議に涙が溢れ出し、止まりません。
そして、ふと「人は人に助けてもらえるのだ」と思ったのです。


その当時は、熱狂的だった、いや、発狂的だったバブルの余熱が残っていました。
はめている腕時計や乗っている車、年に何回海外へ行くかなどが「その人の価値」の判断になり、果ては、どの会社の株を何株持ち、投機的な土地やマンションをいくつ持っているかで「人なのか」「人ではないのか」のレッテルが貼られてしまうような時代でした。
ですので、いつも心には鎧を着て、カメラを持っていないときの右手には剣を持っているような、そんな感じだったのです。
「弱みを見せたら、生きていけなくなる」
「人に助けを求めても、笑われるだけ」
「人を助けたら、見返りに何をしてもらえるのだろうか」
「人を人とも思わない」というか、まさに生き馬の目を射るっていう感じです。
そんな思いを、いつもいつも抱えていました。

でも、市川ファームのお母さんからもらったトウモロコシを噛んだ瞬間、「人は人に助けてもらっていいんだ」と思えたのです。
別に、市川さんに「人には助けてもらえないものなんですよね」とかと話したわけでもないので、人を諭すような手紙が入っていたとかじゃあないんです。
ただただ、「人は人を救えるんだ」と、ふと思ったのです。
「弱みを見せてもいいんだ」
「人に助けてもらってもいいんだ」
って、思えたのです。

あの甘くて温かいトウモロコシを噛んだ瞬間、考え方が変わったように思うのです。
キタノオゴジョに会えたことで、考え方が変わったように思うのです。
「人に助けを求めてはいけない」とか「人を人とも思わない」とかという考え方や生き方は、間違いじゃあないと思います。そういう生き方もあっていいと思います。
でも、人に助けてもらい、人を助けられるような考え方や生き方のほうが、鎧を着て剣を持っているよりも、はるかに楽チンなんです。

あのまま鎧を着て剣を持って生きていたら、「違う今」があると思うのです。
でも、「今の今」が心地良くて、幸せを感じることがたくさんあります。
「違う今」と「今の今」は、どちらが良いのかなんて比べようもありません。
でも、「今の今」が一番良いということは、はっきり言えます。

だから、「今の今」につながるきっかけを作ってくれたキタノオゴジョが愛しいのです。
キタノオゴジョや市川さんのお母さんに諭されたわけではなく、偶然なのでしょうが、「今の今」につながるきっかけになったキタノオゴジョが愛しくて愛しくて・・・・。


(2011年7月1日 記)


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By;Osamu Hasegawa