【自儘な自論 2】 |
写真は、いくつもの「力」を備えている |
ボクは、写真を撮影することを仕事とし生活していますが、仕事抜きに「写真家」や「写真作家」でもありたいと思っています。
それは、小説家が文字を紡いで自身の思いを表現するのと同じで、光や影が織り成す事象をとらえて自分の思いを表現するのが写真家や写真作家なのだと思うのです。
そして、写真家(または写真作家)として、ボクは「写真が備え持つ力」を拠りどころに表現をしています。
ボクが写真を学び始めたころはフィルムを使っての撮影でしたので、現像しないと結果がわからないことから、ピントや露出、構図など写真撮影に必要な事柄に細かく気を配る必要がありました。
さらにもっと前の時代は、露出計もなければ、フィルムさえ自家製だったころもあるわけで、写真家は技師であり「先生」と呼ばれるにふさわしい職業だったと思うのです。
しかし、現在は、シャッターを押しさせえすれば、ピントや露出はオートマチックに撮れてしまいます。そして、写したその場でモニタを覘いて画像を確認し、気に入らなければ何度でも撮影することも出来るのです。
「写真を撮ること」は特別なものではなくなり、写真は身近な存在になっています。
「写真を撮ること」が簡単になり身近になって、多くの人が写真撮影を楽しめるようになった今だからこそ、「写真が備え持つ力」をきちんと踏まえておく必要がるのだと思うのです。
(1)伝達力
1枚の写真は、伝えるべき事柄を、伝えるべき相手に確実に伝えることができます。
「ある事象」について有名な小説家や敏腕な記者が巧みな筆致で表現するよりも、その「ある事象」を撮影した写真のほうが、はるかに大量で正確な情報として伝えることができるのです。
けっして「文字や言葉が無力」といっているのではなく、「伝達する」という役割においては、文字や言葉よりも写真は量的にも確度的にも力を持っていると思うのです。
たとえば、料理の盛り付け方や色合い、容器などについてグルメ記者が文字だけで表現するとしたら、数多くの語彙を重ね、膨大な文字数が必要になってきます。でも、写真でしたら、1枚で語れるのです。
たとえば、「暑い日」という出来事があったとき、眩しい日差しの中で汗を拭っている人の写真は「暑かった」ということを雄弁に語りだします。被写体となった人物の顔を汗が滴り落ち、作り出される濃い影が、さらに暑さを物語ります。背景には、ボンネットの上の空気が揺れる車の列が写っていれば、なおのこと「暑い日」が表現されるのです。
(2)記録力
「記録力」は、時間をとどめる力のことです。
たとえば、小学校の入学式や遠足、家族や友人たちとの旅行、パーティーなどで撮影した写真は、日ごろは忘れている「そのとき」を確実に記録しています。
もう戻ることが出来ない過ぎ去った時間を留める力を写真は持っているのです。
(3)次元変換力
「記録力」と「伝達力」は、写真概論の教科書などで目にする言葉ですが、「次元変換力」とは、ボクが勝手に思っている言葉です。ちょっとヘンですが。
現在、ボクたちが存在し、生きている空間は縦横奥行きの3次元であり、この3次元の空間は「時間」という次元を流れています。
すなわち、ボクたちが存在し生きている空間は4次元なんだと思うのです。
そして、その4次元のほんの一部分を切り抜いて2次元という平面に置き換える(変換する)ことができるのも、写真が持っている力です。
そして、両目という複眼で見る4次元の空間を、カメラのレンズという単眼によって2次元に置き換える作業は歪みを生じさせ、この歪みこそが写真表現の面白いところでもあります。
(4)想像力
一枚の写真によって、撮影をしたそのときに思いをはせたり、自分の住む世界以外の事柄を想像したりすることができます。
たとえば、旅先で撮影した写真を見ると、旅全体を思い出します。そして、4次元を2次元まで変換された写真は、「旅先での思い出」という曖昧な記憶を補完すると同時に、さらに曖昧にし、想像を膨らませノスタルジーへの歩幅を広げます。
また、自分が行ったことがない場所、もしくは見たことがない事象の写真も、想像をかきたてます。
エベレスト山頂の写真は空と近いことを感じさせてくれますし、宇宙船から送られてきた地球の写真の美しさに言葉を失います。
(5)創造力
これまで語ってきた「さまざまな力」によって生み出され、結実する力が創造力であり、創造力は写真が芸術領域に存在し得る根幹です。
フツフツと思い描くイメージや思いを、2次元の世界に変換して表現し、表現した写真を見る人に伝達して、見る人が想像し思いを馳せてもらえるからこそ、ボクは写真を撮り続けているし、撮り続けられるのだと思うのです。
(2011年7月10日 記)