【自儘な自論 4】 |
一年の歳月を経て、石巻を訪れて思うこと |
東日本大震災からちょうど1年が過ぎた2012年3月中旬に、宮城県石巻市を訪れる機会がありました。テレビや新聞など多くのメディアが伝えた破壊された街も、一年が経過すれば、ある程度は整地され、次の街づくりへ歩んでいるのだろうと思っていました。
しかし、石巻港に近い場所には、大型船が何艘も打ち上げられたままであり、鉄筋の骨組みだけが残る大きな工場や、窓ガラスが割れておそらく買ったばかりであろう液晶テレビやソファのあるリビングが吹きさらしになった家などが、そのまま残っていました。
美術硯で有名な雄勝の観光施設の屋根には冷凍トラックが乗っかったままであり、雄勝インフォメーションセンターの屋根には大木が突き刺さったままでした。
石巻の隣町である女川では、被災の大きさを象徴するかのように何度もニュースで流れた横倒しになったビルも、映像で見たままにありました。
地元の方のお話によると、遅々として進まない原因のひとつに瓦礫処理の問題があるのだそうです。
街を海沿いから高台へ移転しようとしても、高台のほとんどは瓦礫置き場になっているために街の測量や設計ができずにいます。加えて、残骸になった工場や半壊の家を処分すると、「新たな瓦礫になる」という問題も含んでいるとのことです。
そこで思うのは、「放射能汚染は恐れるほどではないのだから、全国の各自治体は瓦礫処理を積極的に受け入れるべき」ということです。
「原発事故の危険地域の瓦礫を受け入れてくれ」というのではなく、通常の放射能レベルにある地域の瓦礫なのですから、車や工場が吐き出す大気汚染よりも安全なのです。
しかも、瓦礫処理は、受け入れる自治体と、そこに暮らす人々にとって、大きく得るものが2つはあるのです。
ひとつは、ゴミ減量への意識改革です。
各自治体が所有する施設には焼却する容量に限りがあり、瓦礫処理を受け入れる分、従来の一般ゴミの減量が必要になることでしょう。そこで、受け入れる側の街で生活する人々にゴミの減量を呼びかけ、「ゴミを出さない暮らしを心がける」を徹底するのです。
被災地の瓦礫処理には長い年月がかかるでしょうから、終わるころには「ゴミを出さない暮らしが当たり前」となるくらい習慣化すると思うのです。
もうひとつは、「被災された人たちのために何かしたい」と思っていても、現地に赴けない人たちにとっては、「ゴミを減らした分だけ瓦礫を受け入れられる」となれば、その意を適えることになるのではないでしょうか。
行きたいけど行けない理由は、仕事の都合、体力的な問題、経済的な事情、子育て中で遠出はできないなど、さまざまだと思います。それでも、「何かをしなければ」と思い続けている人は多いはずで、そういう人たちにとって、「ゴミを減らすことが、被災された人たちのために役立つ」となれば、日常の暮らしの中で復興支援ができる機会になると思うのです。
瓦礫処理の受け入れは、被災地の人たちと、日本国内に暮らす人々をつなげます。
被災していない大多数の自治体と、そこに暮らす人たちの心が、被災地の復興を後押しし、明日へ大きく進む原動力になるのです。
(2012年4月30日 記)