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【雑記帳 〜常日頃に思うことの羅列〜 2005年〜2006年】
 2006年8月31日(木)
今日(8月31日)、文京区役所(文京シビックセンター)へ行って用事を済ませ、一階のエレベータホールから降りると、展示室で「石の記憶」と題する企画展が行なわれていたので覗いてみました。
どういうテーマの展示なのか題から読み取ることができなかったのですが、中に入ってびっくりしました。
原爆が投下された直後の広島と長崎の状況を調査する「被爆調査団」のメンバーの一人、東京大学の渡辺武男名誉教授による被爆地の現地調査資料の展示でした。
渡辺教授は、一貫して鉱床の調査と形成過程をテーマとする研究で学士院賞を受賞されるなど、地質学を専門に研究し功績を残されています。
渡辺教授が残された膨大な調査資料の中でも驚くのが、「フィールドノート」と呼ぶ362冊にもおよぶ、五感を使って観察し得た情報を記録したノートです。そこには、石を採集した地点・採集試料・測定した熱線の方向・被爆状況などが記載されています。広島護国神社では、鳥居や狛犬、石灯籠などの石造物が多数あり、それらの試料を比較検討することで精密な調査結果が得られることから詳細な調査が行なわれました。
そして、これらが、爆心地や上空何メートルで爆発したかなどを割り出す重要な情報になったそうです。
展示室の中には、瞬間的な高熱で泡だったように溶解している民家の瓦があります。
調査の様子を写した写真では、安らかな永遠の眠りの場所である墓石が大きく傾き、中には倒れ、壊れています。
毎年、夏の思うことは、「ボクたちの今は60年前の先人たちの礎の上にあるのだなあ」と思う反面、「果たして、 ボクたちの今は、本当に平和なのか」ということです。
ついこの前は北朝鮮からミサイルが発射され、中東ではクラスター爆弾が炸裂しています。
60年前の先人たちの鎮魂と、平和であることを心から感じられることを願う、夏です。

 2006年8月14日(月)
手を伸ばせば触れられるのではと思えるほど雲が低く眩しい。
真上の空は輝く紺碧色がなだらかに淡い青色へとグラデーションを描き、くっきりした海平線へと溶け込んでいく。
60年前も、この空と海は今と変わることなく美しかったことだろう。
その美しい空と海の沖縄で、60年前には何人の命が失われたのだろう。
ただ、60年前は沖縄に限らず、東京大空襲でも広島や長崎でも多くの命が失われたのだから、「沖縄だけ」が惨状ではなかったはずです。
でも、「沖縄だけ」が今もその惨状をとどめているように思えるのです。
くしくも、2年前の8月13日、米軍のヘリコプターが大学構内に墜落しました。
今なお続く、惨状。60年前も今も変わらない、日常と戦争準備が隣り合わせという現状。
沖縄の人たちは笑顔だけれど、でも、心のどこかに見えない痛みを抱えているような笑顔です。
例えば、歩き疲れてできた足のマメが痛いのに、その痛みを悟られないように笑顔であるかのように。
沖縄を特別視してしまう偏った見方からなのか、どうしても沖縄の人たちの笑顔には痛みを伴っているように思えてしまいます。
もう間もなく終戦の日を迎える夏に、沖縄へ行って思いを深くしました。

 2006年8月10日(木)


島根県浜田市へ取材に行きました。取材も無事終了し、美味しいお昼ご飯(太刀魚の塩焼き、鯛の皮など)を堪能したあと、青い空と海と岩畳のコントラストが美しい「石見畳ヶ浦」へ行ってきました。

畳ヶ浦には、およそ4万9000平方メートルもおよぶ海床が広がっています。千畳敷とも呼ばれる海床は、約2000万年前に堆積した砂岩層で、さまざまな貝や鯨の骨、流木などの化石が含まれています。江戸時代の文献にも紹介されるほどの景勝地で、1872年(明治5年)2月6日の浜田地震で隆起し現在の姿になりました。

以上、解説案内板より抜粋要旨。(笑)
潮の干満で見え隠れする岩畳は、真夏の白い雲と青い海との彩りが素晴らしかったです。
そして、岩畳の美しさもさることながら、途中にある洞窟、海を臨む海食崖や断層の迫力にも心躍らせました。

 2006年7月21日(金)
ボクの近しい間柄の人が、近所の家に自転車で行きました。細い路地に面した門前に自転車を止めて玄関で立ち話をして入ると、ガリガリガリという大きな音が門前から聞こえてきます。
振り返ると、路地をバックで入ってきたダスキンのデリバリーワゴン車が自転車を踏みつけています。
すぐさまドライバーが降りてきて、「ごめんなさい。後をちゃんと確認しなかった私が悪いのです」と自転車の持ち主と、家人に謝ります。
持ち主も家人も、何事が起こったか理解するのに暫し時間がかかるほど、ありえないことが目の前で起こったのです。
ダスキンのドライバーは、「自転車屋さんで修理してもらうか、もし直らないようなら弁償します」とひたすら謝りました。
ペチャンコになった自転車を荷物スペースに入れて、持ち主を助手席に乗せ、自転車屋さんへ向かう途中、「用事もありましたでしょうに、こんなことで時間をくってしまいスミマセン」と、持ち主が気の毒になるほど何度も何度も謝りどおしでした。
自転車屋さんに見てもらうと「修理は時間もかかるし、新しい自転車が買えるくらい費用もかかる」ということで、新しい自転車を購入することになりました。もちろん、ダスキンのドライバーが費用負担してです。
持ち主は新しい自転車で帰り家事をしていると、ダスキンのドライバーが「壊してしまった自転車には、きっといろいろな思い出もありましたでしょうにすみません」という言葉を添えて茶菓を持って来ました。
事故のあった家人に聞いて、わざわざ訪ねてきたというのです。
このドライバーが持っている個人的な素養なのか、ダスキンという企業風土なのかわからいけれど、すばらしいなぁと思いました。自分が引き起こした事故でムダな時間を作ってしまったことを謝り、壊してしまった自転車と持ち主が過ごした時間にまで思いをはせるというのは、すばらしいと思いました。
「弁償すれば、それで済むでしょ」「お金で解決しましょう」などというのではなく、相手の生活や思い出にまで心配りするなんて、なかなかできないことです。
きっと、そのドライバーも宅配のスケジュールがあったでしょうに、自分のことより相手のことに思いをめぐらすなんて、なかなかできないことと思うのです。
やるもんですね、ダスキン!

 2006年7月10日(月)
少し前、浜松へロケに行く途中、上野へ向かう普通電車の中の出来事です。
土曜日の早朝だったせいか座われたので居眠りをしていると、隣に座る女子高校生も居眠りをしているようすでボクの肩に倒れてきます。初めのうちは、そんなに負荷には感じなかったのですが、だんだんと重くなってきて、しまいには完全に身を預けるほどの重みを感じます。この状態でボクが急に立ち上がったら、きっと横倒しになってしまうだろうと思えるほど、ボクのほうに傾いています。肩を動かして向こう側に押し返しても、またすぐに倒れてきます。
そんなことを数回繰り返します。
せっかくうつらうつらと気持ちよく居眠りをしているのに、すっごく不快で腹立ってきます。
我慢をしてはいたのですが押し返しながら、ついつい「いい加減にして!」と言ってしまいました。
なんで不快になって腹立ったのか冷静に考えてみたら、ずばり「かわいくなかった」から!!(かわいいか、かわいくないかは個人の好みにもよりましょうが・・・・)
もし、かわいかったら、きっとその状態をキープしていただろうなあと思うのです。
ボクの方から積極的に「そういう状態」に持ち込んだら犯罪なのでしょうけど、向うからの場合は不可抗力というか抗わないというか、ウェルカムと思うのですよ。(笑)
で、思ったのは、第一印象って大切だなあということ。
というのは、かわいかったら人に寄りかかって眠れるワケです。でも、そうじゃないと、「いい加減にして」と押し返されてなかなかか安眠できないのです。眠れたか眠れなかったかで、すっきりと電車が降りられるかどうか違ってきて、一日の活力に差が出てきます。それが毎日となると「積み重ねの結果の差」として活力の差がますます大きく広がることになります。
となると、第一印象がいいか悪いかが大切になるなぁと思うのです。
まあ、第一印象って「かわいい」「かわいくない」という単に見た目の美醜ではないのです。放たれるオーラというか、発せられる“やる気(元気さ)”とか、生命力とか、そういうものが大きいのです。たとえ「かわいくない」部類の女の子でも、元気だったり笑顔だったりしたら、第一印象は違うはずです。

そういえば、もう10数年以上も前のことですが、撮影の昼休みにスタイリストから
「この前、○○にいませんでしたか?」と尋ねられ、
「その日の、その時間だったら、そこにいたかも」と答えると、
ボクのことを見かけたそうです。
「だったら、声をかけてくれれば、ご馳走したのに」と言うと、
そのスタイリストは、
「だって、すっごく怖かったんです。声をかけたら殴られるんじゃないかって思うくらいに」と。
そうそう。
そのころのボクは、むちゃくちゃ短気でしたから、きっと怖いオーラを出しまくっていたんでしょうね。ほんと、「寄らば切るぞ!」ってな具合だったかもしれません。
やはり、第一印象なんですよね。
「怖い」と思われたら、人は寄ってきてくれないのです。そうすると、人と隔絶してしまったり、新しい出会いもなくなって、成長が止まってしまいます。
ほんの些細なことでも、第一印象って大切だなあと思うきっかけになる出来事でした。

 2006年7月4日(火)
6月に入って、ウィンドウズのノートパソコンを買いました。
ご依頼いただく仕事のほとんどがデジタル化となり、電車移動中やロケの帰りなどに作業ができたら効率が高まるかなあと思ったのです。
いやー。ほんと、すばらしいですね。
一日24時間が30時間くらいに思えるほど、何もかもはかどります。
ついには、スケジュール管理をバイブル型のシステム手帳からデジタル化しましたし、経費台帳も手書きからパソコン処理へと変更しました。今でも、このMacは愛おしいです。愛着あります。
でも、いかんせん使えるソフトが限られ時流に乗れないのはいたしかたないのですが、その分、のんびりとゆるゆるとした時間を過ごせるかなあとも思っているのです。

 2006年6月15日(木)
サッカーのワールドカップが盛り上がっています。猫も杓子も、寝ても覚めてもワールドカップ関連の話題です。ボクも、にわかサッカーファンとして「がんばれ、ニッポン!」と叫んでいます。
で、初戦のオーストラリアとのゲームに“思わず”敗れて、もう勝ち続けなければならない状態に追い込まれました。引き分けではなく、勝たなければならないのです。欧州予選を無敗で本戦出場のクロアチア、前回大会優勝の王者ブラジルを向こうにまわして勝てというのは無理ですし、「勝てる」というのもムシのいい虚しい話です。
で思ったのは、「日本は強い」「一次予選通過できる」というヤレイケドンドンというムードの中でオーストラリア戦に敗れ、そして「“思わず”敗れた」と忸怩してしまったことに反省すべき点があるのではないかということです。
すなわち、「日本は強い」と思ってしまったのは、テレビや新聞などの報道の論調によるものです。その論調に流されてしまったことを省みるべきかなあと思っています。
ボクは、ワールドカップ・イヤーの今年に入ってじっくりとJリーグを見るようになって「サッカーは面白い」と思うようになったワケで、Jリーグが始まる前は天皇杯でさえ国立競技場は入場者数より空席数が少なかったこともあるほど国民的関心は乏しかったワケです。ということは、日本代表選手の個々の技術や能力はいかがなものか、世界のレベルはどーなのか、世界と比して勝てる戦力なのかなど、まったくわからないまま、マスコミの論調に乗っかってしまったということです。

これは、やはり恐ろしいことです。
マスコミは、つい昨日まではホリエモン氏や村上ファンド氏などを「時代の寵児」と持ち上げておいて、今は「ずるがしこい大悪党」と袋叩きにしているのです。こういうマスコミの情報を鵜呑みにしてしまって、株なんてしない人が、会ったことのないホリエモン氏の被害にあったようなことを口にします。
ボクも「マスコミの一隅」に席を置いているつもりですので記者一人一人には信を置いていますが、一定方向に動き出した波やムードを止められず、乗っていってしまうことに怖さが感じられてなりません。
と、70年前に思いをはせると、きっと同じだったのではないでしょうか。「日本は強い」「ヤレイケドンドン」と戦争に突っ込んでいく風潮ができあがっていったように思うのです。
「世界を敵にまわして勝てるほど日本の戦力はあるのか」という冷静で的確な分析がされていたなら、戦争は避けられたのかもしれません。もしくは戦争になっても、終わり方というか落としどころというか、きっと結果が違っていたと思います。
今回のワールドカップ報道を通じて思ったのは、「絶対に信じないから!」と頑なになることはないまでも、画一的にひとつの論調だけで流される情報に疑問符を付ける、もしくは正反対の見方をしてみることも大切であるということです。

 2005年2月28日(月)

この間、仕事で広島へ行ってきました。
広島には、お世話になった方々がたくさん住んでいるので、一泊して日ごろのご無沙汰をお詫びしたかったのですが、翌日にも東京での撮影があったので日帰りでした。

仕事の待ち合わせには時間があったので、久しぶりに原爆ドームへ行きました。
当日は、雪でも降るのではないかと思われるほど、寒く、重たい雲が空全体を覆っていました。
久しぶりに見る原爆ドームは、心なしか小さくなったように思いました。もちろん、現実に小さくなったなんてことはないワケですが、なぜか小さくなってしまったように思えました。
原爆ドームを初めて見たのは、10数年も前のことだったと思います。広島入りが夜になってしまい、高速道路からの道を市内に向けて車で走っていたら、数本先に架かる橋のたもとにライトアップされた原爆ドームを見たのが初めてでした。
そのとき以来、何度も原爆ドームを訪れていたのですが、今回、数年ぶりに原爆ドームをじっくり見たせいか、なんだか小さく見えました。

原爆ドームのまわりは、緑の芝生と緑の葉をつけた木々。
グレーの原爆ドームとグレーの曇空。
上空には、羽を広げて滑空する鳥たち。
全てのモノたちが織りなすコントラストは、ボクの胸をキュっと締めつけます。
原爆がほんの数十年前に爆発した空を、今は鳥たちが自由に羽を広げて飛び、そして、その空の下でボクたちは自由を享受しています。
「過去の史実」と「目の前の現実」が織りなすコントラストに、心がザワつきます。


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By;Osamu Hasegawa