商品写真やスナップ写真、モデル撮影のグラビア写真、店舗・建物写真などのほか、取材やインタビュー、原稿作成なども評価が高いフリーカマラマン長谷川修のホームページ。写真撮影のほか、動画の撮影、取材やインタビュー、原稿作成なども承ります。写真コンクールや文学賞などでも入賞や入選し、多くの賞を受賞しています。写真も文章も高評価をいただいています。



【雑記帳 〜常日頃に思うことの羅列〜 2008年(前半)】
 2008年6月28日(日)
昨日、ある物流系の会社へ取材撮影に行きました。
その会社は関東の小さな町にあり、在来線の駅からタクシーで10分くらいのところにあります。先週も、取材撮影にお伺いさせていただきました。
昨日は、15時にお伺いすることになっていたので14時45分に在来線の駅に着き、駅前からタクシーに乗りました。
お伺いする会社の名前を告げ、出発したあと、タクシー運転手は「住所は、おわかりですか」と尋ねますので、住所を記録したメモとともに、インターネットで調べてプリントアウトした地図を渡しました。
先週のタクシー運転手は、会社名を告げただけでスムーズに行きました。また、その会社は、誰でも知っている会社のグループ企業ですし、小さな町のタクシー運転手なら知っていて当たり前と思える有名な会社です。
渡した地図を頼りに近くまで来ているようなのですが、先週来たところと雰囲気がぜんぜん違います。完全に迷っています。
時間は、約束の15時近くになっています。先週は10分足らずで着いたので、14時45分に駅からタクシーで向かえば約束の5分くらい前に到着するだろうと思っていました。
運転席にはカーナビが付いているので、「カーナビで住所で検索したらどうなのさ」って言ったら、この運転手は「カーナビの使い方、知らねぇんだ」というじゃありませんか。
呆れてしまいます。
何のための、カーナビなの?
畑仕事をされている方がいたのでタクシーを止めさせ、聞いてみましたところ、「その会社は、大通りの向こう側だね」と教えてくれました。
ね。近くの人とはいえ、誰でも知っている会社なんですよ。
取材先には失礼がないように途中でご連絡したからいいけど、けっきょく、迷いに迷って、着いたのが3時5分です。
とうぜん、料金メーターも上がっていて1500円オーバー! ありえないでしょ!
で、タクシーの運ちゃん「迷って申しわけないので千円でいい」と。
「冗談じゃない。先週来た時はワンメーターだったのに。10分足らずのところに時間がかかった上に割増なんて話は筋が違うだろ」って言っちゃいました。
そしたら「じゃあ、800円でいいです」だって。
しかも「何を考えてるんじゃい」と言ったら、「何も考えてません」と!
最近のタクシーって、プロフェッショナル魂が欠如しちゃっています。
都内でも、歩行者用の信号が青なのに、横断歩道の前で一時停止もせず左折してしまうタクシーが多くなったように思います。
道の傍らで手を上げる人を見かけると、後続車に注意することなく急停車することは、昔からよく見かけます。
もっと劣悪なのは、客を降ろすときに横断歩道上に停車することです。停車したときは車側の信号は青でも、料金やつり銭の受け渡しをしている間に車側の信号は赤になり、横断歩道の信号は青になります。
でも、タクシーが横断歩道を塞いじゃっているので、誰も渡ることができないまま赤になってしまったこともありました。で、そのタクシーは、我関せずというか、歩行者が迷惑したことも気がつかないまま走り去ってしまいます。
なんか、ほんと、最近のタクシーって、ダメだと思います。
そんなようなタクシー運転手から缶ビールと柿ピーをもっらちやう霞ヶ関の住人たちは、もっとダメだと思います。
嘆かわしい。

 2008年6月23日(月)


上の写真の木は、ボクの事務所前の街路樹です。
今の時季は、枇杷がたわわに実っています。
先日、この枇杷の幹に、「この樹木は不法占用樹木です。所有者は撤去するように。撤去なき場合には伐採します」という警告書が貼り付けられました。
枇杷の木は2本あり、ともにボクが事務所を借りるときには大木になっていました。
今はしっかり根を張り、根元あたりの幹周りはかなり太いです。
誰かが植えたのか、または種が飛んできて成長したのかわかりません。
でも、きっと何十年も前から、この場所に生きていることは確かです。
この枇杷の木が、何か悪いことをしたのでしょうか。
この枇杷の木が、誰かの迷惑になっているのでしょうか。
この枇杷の木が、人の営みに悪影響を及ぼしているのでしょうか。
この枇杷の木を伐採し命を奪おうと決めた者が、今の役職に就く以前から(もしかしたら、その決定者が生まれる前から)、この場所に生きているのです。
夏には木陰をつくり、視覚的にも体感的にも涼を与えてくれます。
この枇杷の木は、昨日今日の短い間に大きくなったのではないです。
何十年も前から生きつづけているのです。
何も悪いことをしていない、誰にも迷惑をかけていない枇杷の木を、あたかも産業廃棄物や違法駐車のレッカー移動のように処分してしまうなんて。
なんか、悲しいです。そして、哀しいです。

 2008年6月15日(日)


昨日も、東京競馬場へ行ってきました、
今週の競馬が終わるとローカル開催となり、関東地区では新潟と福島での開催になるので、今年上半期の最終競馬場でした。

朝、ダートコースではハローがけしたり、芝コースではゴミを拾ったりと手入れをしていました。
こうやって、手入れをしているから競馬を楽しめるのだろうなあと思いました。
あと、2005年の日経賞で優勝し、10歳まで重賞レースで活躍し続け、昨年9月に引退したユキノサンロイヤル号が誘導馬になっていました。
ほかの2頭の馬はじっと立っているのに、ユキノサンロイヤルは落ち着きなく静止していられませんでした。きっと、誘導馬としては「新人ちゃん」なのでしょうね。


そうそう。結果はプラス決算で終わりまた!
ただ、結果はプラスでしたが、最終レースで勝負するまではマイナス基調でしたし、7レースでは驚きの出来事が起きたのです。
この7レースは、「3−5−6−11−14」のワイド馬券をボックスでと予想しました。
ところが、購入した馬券を確認したら、「2−5−6−11−14」となっているじゃないですか。
3番と間違えた2番のスーパーミッションって、船橋から来た地方馬だし「絶対来ないっ!」って思い、締切時間ぎりぎりになって窓口で2番を3番に修正してもらいました。

でも、しかし!
スーパーミッションはスタートをきれいに決め、するすると逃げていきます。
「まあ、東京競馬は直線が長いので捕まるよな」と思うし、JRAの面子にかけて捕まえるだろうと思っていたのです。
でも、ゴール直前になったら2着以下を突き放すじゃないですか。結局、「2−6−5−7−4」の順にゴールしました。
下段右の写真が、ゴール前の写真です。先頭が2番のスーパーミッションです。
もし、もし! 修正することなく「2−5−6−11−14」のままだったら、
 2−6 19670円
 2−5  9100円
 5−6   680円
の3通りとも取れていたので、29450円をゲットできたのです。

いやー。なんともかんとも。
でもまあ、修正せずに3番の馬が馬券に絡んだら、もっと悔しいでしょうから馬券を修正してもらったのは正解だったと思うのです。
要するに、修正したことは正解だったけど、選ぶ馬を間違えたということです。

さらに前の3レースでは、ちょっと穴っぽかった11番のヤマニンシュエットを狙ってみたのですが、発送直前に右肩跛行で競争除外になっちゃうし、なんかチグハグな一日でした。
でも、最終レースで思い切った勝負に出てプラス決算になりましたが、もし、これで負けていたら競馬場の芝生をはがしてやろうかと思っちゃいます。(現実に芝生をはがすことはできないので、そういう気持ちということです)

まあ、こういうモンですよ、競馬も人生も。
「3万円近くの当たり馬券」は、秋競馬のために貯金してきたと思えばいいのです!
農家の皆さんが実りを収穫するように、秋になって始まる東京と中山の競馬で収穫したいと思います。(宿望!)
そして、秋競馬を待つ間、ビールを美味しく飲みながら、真夏の競馬を満喫します。
って、結局、年中競馬三昧ってことです。(笑)

 2008年5月28日(水)
6月1日から、歩道を走る自転車の区分を明確にする法律が施行されます。
これは、本来、自転車は「車両」なのだから車道を走るべきで、歩道を通ることができるのは「通行可」と許可された場合だけと明確にした法律です。
昔から「自転車は車両」であり、法律に則れば車道を通らなければならないのです。
でも、鉄製の車が時速50キロ以上のスピードで走る車道は危険という意識があり、自転車は歩道を通ってもいいと黙認されてきたのだと思うのです。
しかし、6月からは、「自転車は車道」と明確になることで、自転車が車道に溢れることになります。
ボクは、池袋駅近くの駐輪場に自転車を預けておいて、事務所までは自転車で通っています。
この間、「通行可」と明示されている歩道もあれば、ない歩道もあります。
「通行可」の標識のないところは車道を通らなければならないとなると、ちょっと怖いです。
ボクが通う道は、春日通りといって片側2斜線の幹線道路なので、車はけっこうなスピードで走っている道です。
先日、ものは試しと思い、車道を通ってみました。ボクの自転車は折りたたみ式の小さいもので、競輪のようなスポーツ仕様ではありませんから、一生懸命漕いでもスピードに限界があります。
ガードレールに触れるのではというくらい左側に寄って通っていても、スピードに乗った車が横をすり抜けていくのは怖いです。中には、クラクションを鳴らす車もいます。
そして、一番怖いのは、駐車している車を避けて通るときです。
駐車車両を避けるには、どうしても車道側にはみ出さないと通れないのです。スピードを出している車の列の方にはみ出すのは怖いです。
でも、そうしないと駐車している車を避けて前は進めないのです。
そして、一方、車を運転して思うのですが、やはり車道を通る自転車の存在は危うく感じます。
自転車の脇を走るとき、徐行するか、自転車から離れます。ということは、ブレーキを踏むか、反対車線の車の流れを読みながら走行車線をはみ出すことになるのです。
そうなると、結果として渋滞がおきるのです。
先日、車でロケに出かけ、機材を事務所に置いて帰るときの出来事です。夜9時くらいだったのですが、この時間帯ではスムーズに流れるところが、渋滞気味になっています。
事故なのだろうか、工事なのだろうかと思いながら進んでいくと、レーサー仕様の自転車が車道の左側を通っています。
この自転車を追い抜くときに、スピードを緩めるか、反対車線にはみ出すかしているので、後続の車のスピードが落ちていたのです。
そして、この自転車はレーサー仕様なので、そこそこのスピードが出ていて、「信号待ちで止まっている追い抜いた車を追い抜いていき、自転車に追い抜かれた車は、スピードを落としながら再度抜き返すということを繰り返すことになります。
このときは、レーサー仕様の自転車でしたから、ある程度スピードが出ていたし、自転車が1台だけでしたから渋滞にあることはなかったですが、6月1日の法律施行以降、自転車が車道に溢れたら、幹線道路は自転車を避ける車で大渋滞になってしまうのではないでしょうか。
もちろん、事故も心配です。
こうやって、法律化して明確にすることも必要なのかもしれませんが、でも、現場というか、「その場で優先すべきこと」を縛ってしまうことにならないのでしょうか。
明文化することで事故やトラブルが増えてしまうのではないかと、心配です。
何でもカンでも明文化すればいい、ということではないと思うのです。
「明確にすることでの不都合」が生まれ、窮屈で暮らしづらい社会になってしまうように思います。
曖昧というかファジーというか阿吽の呼吸というか、そういうのがボクら日本人の暮らしに合っているように思うのです。何でもカンでも決めてしまうと、うまくいくこともいかなくなってしまいます。

 2008年5月17日(土)
写真展のご案内です。
「熊切圭介 写真展 揺れ動いた'60年代の光と影」
日本の高度経済成長という勃興期に写真家として活動を始めた熊切圭介さんの写真展が、品川にある「キヤノンギャラリーS」で開催されています。
写真展タイトルにあるとおり、60年代に起ったさまざまな出来事の深淵を、冷静で的確な視点で記録した写真展です。
石炭から石油へというエネルギー革命と重化学工業化が進み、日本各地で大規模な工業開発が行われた反面、大気や河川汚染等による公害問題、サリドマイドや水俣病など薬害や有機水銀中毒などが全国各地で多発し、都市の人口過密や農山村の過疎化が加速していった'60年代。64年の東京オリンピックによって黄金期を迎えた日本は、「昭和元禄」「戦後ではない」などという言葉に表現されるように天下泰平ムードが満ち満ちていました。
そして、70年の日本万国博覧会を契機に、日本は消費文化に軸を置いた経済重視社会へと猛進していきます。
「現在日本の社会が抱えている様々な問題の萌芽は、1960年代に見え隠れし始めた」と作者の言葉として熊切さんが述べられています。
まさに、60年代に対岸の火事と思っていたベトナム戦争の暗い影が影響し、工業開発による公害問題や地価高騰が起きたように、21世紀となってもう間もなく10年となろうとしている現在においても、国際紛争やエネルギー問題、環境問題、地方格差など何の問題解決がされてこなかったように思うのです。
60年代からの50年間、経済的な豊かさを享受する一方で、その豊かさと引き換えに、大きな何かを失ってきたのではないでしょうか。
今回の「熊切圭介 写真展 揺れ動いた'60年代の光と影」を拝見して、いろいろなことを考えるきっかけになりました。
そして何より、時代を記録するという「写真が持つ力」をあらためて確信する写真展です。
6月17日(火)まで開催されていますので、ぜひ、会場に足を運んでみてください。

ちなみに、日本写真家協会(JPS)の副会長を務められる熊切さんの事務所がある建物に、ボクの事務所があります。(熊切さんの階下がボクの事務所なのです)
お会いするたびに優しい言葉をかけていただいたり、いろいろご指導をいただいたりしています。(笑)

 2008年5月13日(火)
ゴールデンウィークは、どのようにお過ごしでしたか?
ボクは、ありがたいことに写真と仕事三昧でした。
参加させていただいているプロジェクトの写真を撮影させていただいたり、作品をつくったりと、いい毎日を過ごしていました。
そうそう。
自宅で使っているパソコンが壊れかけましたが、カスタマーサポートの皆さんのおかげで、無事に完全復活することができました。

4月下旬に、自宅で使用しているパソコンが不調になってしまいました。
昨年10月に購入したので、まだ半年くらいです。
起動ボタンを押すとスムーズに立ち上がっていたのですが、「F1を押すと続くで、F2を押すとセットアップ」というメッセージがある黒い画面から始まるのです。
で、「なんか、不気味だぁ」と思ってバックアップを外付けハードディスクにコピーしておこうとすると、16bitのtiffに変換した大容量のデータをコピーしようとすると止まっちゃうのです。

すでに納品した写真データですが、ボクのほうでもバックアップを取っておかないと不安なものですから、外付けハードディスクではなくDVDに書き込んでおこうと思ったのですが、これもエラーになっちゃうのです。
エラーになって、エライこっちゃ(笑)と思い、DELLのカスタマーサポートに連絡をしたのです。

症状をいろいろ説明し、改善方法などを教えてもらったのですが、ぜんぜん直りません。
どうしたものかと思い悩んでいると、「ハードディスク自体が壊れる前兆です」と。
ど、しぇ〜っ! っていう思いです。
「保障期間内ですので、新しいハードディスクと無償で交換します」と担当者は言うのですが、問題はハードディスクの機器ではなく、「中身」をどうするかなんです。
プロジェクト進行中の資料データや写真も当然ながら、作品写真や経理書類などなんやかんやと入っているのです。それを取り出すには、どうすればいいのさ。

ワードやエクセルなど容量が小さいデータは外付けハードディスクに簡単に移行できたのですが、問題は容量が多い写真データです。
大きいデータといっても、例えば同じ16bitのtiffデータでも、コピーや読み込みができる画像データとエラーになっちゃう画像データがあるのです。
というような症状の説明をすると「特定のデータを読み込もうとするときにエラーになるのは、そのデータ自体が壊れていると思われています」と目の前が真っ暗になることを担当者は言います。
「今、コピーが取れるデータを外付けハードディスクに、冷静に根気よくコピーすることが大切です」という言葉に勇気づけられながら、できるだけコピーしました。
幸いなことに、写真データ以外は全てコピーできましたし、色調補正などをした写真データもほとんどコピーすることができました。
ダメだった写真データも、「raw原画」だけは取り出せたのは救いでした。

「冷静に根気よくコピーすることが大切です」と言われなければ、叩き壊していたかもしれません。
この言葉がなかったら、今ごろは悲惨な状態に打ちひしがれていたのでしょうね。
それに、新しいハードディスクが届いてOSをインストールするときも、とてもわかりやすく、具体的に教えてくれました。
パソコンを専門に扱う人たちって、なんというか「自分たちの世界」の話し方をするのでわかりづらいのですが、DELLのカスタムサポートの人たちは、みんな、わかりやすく説明してくださいました。
今回のことで、10回近く連絡をとり、毎回違う人が対応されましたが、みんな、わかりやすい説明でした。
こういう優秀な人たちのお掛けで、無事にパソコンを完全復活することができました。
感謝、感謝、感謝!!

 2008年4月24日(木)
たいへん!
昨年10月に購入したデスクトップパソコンが不調で、カスタマーサポートに連絡をしたら「ハードディスクが壊れる寸前の症状のようですね」と!!
しぇ〜っ!!
買ってからまだ半年くらいだし、乱暴な使い方はしていないのに壊れるなんて!!

ショックなのは、ハードディスクに記憶させているデータが外部に取り出せないことです。
カスタマーサポートの担当者は、「保証期間内ですので、新しいハードディスクとと交換いたします」ということですが、ハードディスク本体ではなく「中身」が重要なんです。
プロジェクト進行中の資料や写真、作品の写真、経理関係の書類、手紙やらなんやらがいっぱい入っています。
原則的にバックアップはまめに取っているつもりです。でも、進行中のものはバックアップは取っていないです。
ワードやエクセルで作ったデータは容量が小さいので取り出せるのですが、写真は容量が大きいし、ボクは最大限に大きくした状態で画像処理して保存しているので、ほとんどが取り出せないままで困っています。
それでも救いなのは、「raw原画」が全て取り出せたことです!
これがあれば、なんとでもなりますから。
あぁ。4月に入って、やんなきゃならないことが山積みで、まだまだ続くというのに、まったく!

ちなみに、今回の更新は、サブで使っているノートパソコンで行いました。
こうやって、サブがあるのはありがたいです。画面が小さくて作業効率は下がっちゃいますが、でも、こうやってホームページの更新もできるし、仕事でもじゅうぶんに使えます。

 2008年4月13日(日)

今年の桜は、ずいぶん長く咲いていました。
すでにボクの近くでは葉桜になってしまいましたが、昨日、茨城県下妻市へロケに行ったときには、ところどころでは花びらを残す桜が多かったです。
今ごろは東北あたりが見ごろを迎えているのでしょうか。

写真は、茨城県土浦市にある小学校の校庭の真ん中に咲く桜です。
校庭の真ん中に5本、明治時代に植樹されたそうで100年以上経った今でも見事に花を咲かせます。
幹の太さもさることながら、岩をも思わせる固くなった根や幹のコブに驚きました。

効率とか合理的だとかを求めてしまう今の時代に、よく残ってきたなあと感慨深く眺めさせてもらいました。
体育の授業や運動会のほかに朝礼や全校集会などで使う校庭って、広い空間が理想なんだと思うのです。
でも、この小学校は、100年以上も桜の木が5本も校庭の真ん中に植わっています。
もし、効率や合理を優先していたら、きっと、この桜たちは伐採されてたのでしょう。

季節は、春。
花があふれ、若葉が輝きます。

 2008年4月1日(土)
今日4月1日からビールが値上げになった影響で、事務所を閉鎖することにしました。

というメールを親しい友人やモデル、ヘアメイクさんなどへお送りしました。
それぞれ、さまざまな反応です。
「え〜っ!? 事務所を閉じてもカメラマンを続けるのでしょ?」とか、
「スタジオなくなっちゃったら、作品撮りできなくなって困る」とか、
「ビールが値上がっただけで影響があるものなの?」とか。
ほんと、いろいろな反応です。

「どうせ、エイプリールのネタでしょ」と身も蓋もないような、バッサリと言い切るやつらが多く、ちょっと悔しかったです。性格、見抜かれてるなあと。
でも、中には、「エイプリールネタにひかかって、悔しいっ!」と素直に反応してくれる人もいて、ちょっと愉快な一日でした。

あっ。
冒頭の「今日4月1日からビールが値上げになった影響で、事務所を閉鎖することにしました」というのは、ほんとエイプリールフールのネタですからね。
ボクも、ボクの事務所(スタジオ)も健在です!

 2008年3月15日(土)

ボクが写真を学んだ博報堂写真部(現・博報堂プロダクツ)の神田錦町スタジオが、撮影スタジオの移転に伴い閉鎖になります。
神田錦町スタジオは、1970年に「東洋一の撮影スタジオ」として産声を上げ、さまざまな企業の、さまざまな広告写真を生み出してきました。
1970年は、戦争の傷跡が癒え、まさに復興に向けての最盛期であり、現代日本の礎の時期でもあります。
そして、40年の歴史を経て、2008年春に閉鎖となります。

ボクも、このスタジオで、さまざまなことを学びました。
写真技術だけではなく、人の温かみ、人の大切さ、人と人の交わり。
そして、一生懸命とは何か。

このスタジオは、ボクにとって大切な学び舎です。
ここでの学びがなかったら、今のボクは存在していません。
この神田錦町スタジオは、ボクにとって学び舎であると同時にスタート地点でもあります。

時代や社会は変化していきます。
神田錦町スタジオも役割を終えます。
3月14日に、このスタジオのお別れ会がありました。
博報堂の在職者、OB、OGなど関係者が大きなスタジオに入りきれないほど大勢の方が集まりました。
博報堂を卒業して以来にお会いする方も多く、懐かしい気持ちと、元気な笑顔が見られて嬉しい気持ちと、たくさんの皆さんにたくさんのことを教えていただいた感謝の気持ちと、ご無沙汰してしまった申し訳ない気持ちと、そのほかいろいろな気持ちが溢れ出てきました。

まったく使い物にならなかったボクを、温かく厳しく導き育ててくれた二人の師匠とツーショット写真を撮らせていただきました。(写真撮影:ともに写真を学んだ戸塚博之さん)
ボクの今は、師匠たちの笑顔とお叱りと、そして、この神田錦町スタジオのおかげなのだなあとしみじみ思いました。
師匠たちやこういう場所で学んだという誇りを胸に、これからも頑張っていきたいと思いました。

 2008年3月1日(土)

季節は、春ですね。3月です!
関東地方では、もう最高気温が10度以上になるでしょうし、吹く風も冬の厳しい嵐風から春の優しいそよ風に変わってきました。
この季節の一番の話題といえば、花粉症でしょうか。
ボクは、ありがたいことに花粉症やアレルギーなどに悩まされることはないのですが、毎日の気象情報のひとつとして放送されるほど社会的な関心事になっています。
ということで、ちょっと強引ですが「花粉つながり」のお話です。
2月29日(金)から3月2日(日)の間に、幕張メッセ(千葉県)で「JAPANドラッグストアショー(主催:日本チェーンドラッグストア協会)」という展示会がありました。
この催しの中で「花粉症撃退コーナー」という呼び物があり、そこで「花粉症平癒の祈祷」が行われました。
実は、この祈祷を行った神主さん、専門学校で写真を一緒に学んだボクの「ご学友(笑)」なんです。彼は、福岡県大牟田市にある上内八幡宮で、数年前から故郷に帰ってお父さんのあとを継いで宮司をしています。
では、なぜ、福岡の宮司さんが、千葉で行われた花粉症関連のイベントに来たのかというと・・・。
左上の写真のミカンは「黄金柑子(きんこうし)」という上内八幡宮の境内に実るミカンなんですが、このミカンが「花粉症に効く」という噂が噂を呼びちょっとした話題になりました。
話題になった経緯などは上内八幡宮のホームページで詳しく紹介されていますので、そちらをご覧いただければと思いますが、この黄金柑子というミカンは杉林に囲まれた中で自然に実をつけるそうなのです。
ということは、杉林に囲まれて「杉花粉まみれ」という環境でも立派なミカンがたわわに実をつけるのだから「花粉症に効く」というように地元の新聞で報じられたことで話題になったようです。
そして、その「花粉症に効くミカンが咲く神社の宮司に祈祷を花粉症対策のイベントで」となったのだそうです。
ところで、この「黄金柑子」というミカンは、文字にもあるように黄金色です。ですので、金運や仕事運にもご利益があり、神棚にしばらく飾ったあとに食べるといいそうです。
ということで、ボクの事務所には神棚がないので、一番よく使うデスクの上にいただいてきた黄金柑子を飾っておこうと思います。


いやー。なんというか、友人がたくさんの人が見ている舞台に立つのって、どきどきしますね。
ボクなんて、「花粉症の祈祷が滞りなくできますように」と心の中で祈っちゃいましたもの。(笑) 神通力とか「神様からの信頼度」とかは、無信心のボクなんてぜんぜんないのはわかっちゃあいるのですが、「失敗しませんように」と祈っちゃいました。
まあ、ボクの祈りが通じたわけではないのは当たり前なんですが、威厳というか、厳か感をしっかり醸し出した友人の祝詞奏上や所作には感動しました。
学生のときは、一緒に「若気の至り」をたくさんした仲です。当時は苦い思い出でも、今となってはいい思い出になるほど遠い昔となってしまいましたが、そういう時を一緒に過ごした友人が、とても立派にきちんと自身の仕事を完遂する姿に心打たれました。
ボクも頑張らなくちゃと、思いを新たにしました。
時々しか会えない友人の、苦しいことも楽しいことも一緒に過ごした友人の、たくましい今の姿を励みに明日からもっともっとボクも頑張ります。

 2008年2月20日(水)
このごろ、ようやく温かくなってきました。
陽射しが力強さを取り戻して、春に近づきつつという感じです。
この陽射しが、事務所(スタジオ)の南向きの大きな窓から一日中差し込んでいるので温室のようです。
この温室のような温かさは、ちょっと危険です。
何が危険かといえば、ずばり「昼寝への誘い」です。
ソファがボクを昼寝へ誘うのです。
お昼ご飯を食べたあとに、ぽかぽかの部屋での昼寝って、ほんとサイコーなんです。
全てを忘れての昼寝は、至福です。
あっ。
全てを忘れてといっても仕事優先ですので、撮影中は真剣です!
昼寝へ誘うソファを横目で見ながら・・・。(笑)

 2008年2月5日(火)
日曜日(2月3日)は、節分だというのに大雪でした。
事務所でミーティングを予定していましたが、交通機関の不通や遅れが予測されたので延期しました。
ニュースや交通情報を見ると、不通にならないまでも遅れが出る電車が多かったようです。
月曜日に自転車で事務所に向かう途中、ビルの陰になった道路は雪が残って凍っていました。そこを自転車で通るのは、漕いでもタイヤが滑って前に進まないのではと思うとちょっと怖さを感じます。
ですので、日向で乾いた道路を選んでゆっくりと走り、ようやく事務所の近くの不忍通りと春日通りの交差点に着いて信号待ちをしていると、年配の女性から「ここに行きたいのですが、ご存知ですか」と声をかけられました。
差し出された紙を見ると、事務所の近くに最近できたインドのビザ(査証)を発給するセンターに行きたいようです。「この坂を下って行くとコンビニがあり、その手前にインドの国旗があるところが、そのセンターですよ」と教えました。
それにしても、最近、道を聞かれることが多くなりました。
この日は、いつものように帽子をかぶった上に、防寒用の耳あてとマスクをしていたので、露出しているのは目だけです。そんな怪しげな格好をして自転車に乗っているボクに道を尋ねられるなんて・・・。
交差点では、他にも信号待ちをしていた人も大勢いたのにです。
事務所の近所に限らず銀座や池袋などでも、同じように道を尋ねられるのです。
しかも、最近になって、急に増えたように思います。
う〜む。なぜだろう。不思議です。

 2008年1月24日(木)
寒い日が続きます。昨日、水曜日は、雪が降るほど寒かったです。
この日は、下井草にあるハウススタジオでの撮影なので、雪が降る朝の早い時間、事務所の前の道に車を停めて機材を詰め込んでいました。
荷物を積み終わるころ、「長谷川さん」とボクを呼ぶ人がいます。
振り返ると、事務所の大家さんが立っていて、「寒いから、これでも飲んで温まりなさい」と差し出してくれたのは、もうもうと湯気をあげる紙コップです。しかも、熱いだろうからと、紙コップの上からコピー用紙をくるんでくれています。紙コップの中をのぞくと、いい香りのコーヒーが入っています。
嬉しさあまって、お礼が大声になってしまいましたが、コピー用紙にくるまれた紙コップを受け取り、車のカップ受けに置いて残った荷物を積む終え、出発のひととき、しばしのコーヒータイムです。
コーヒーは、少しだけ砂糖が多く甘めです。でも、ちょっと疲れたときには、ほっとする甘さです。
機材を積み込むボクのために、コーヒーを入れてくれて、寒い中に外に出てきて差し出してくれました。しかも、やけどしないようにコピー用紙でくるんでくれる、そういう大家さんの優しい気持ちがいっぱい入った、甘くて温かくて、身体だけではなく、心もほかほかになる美味しいコーヒーでした。

 2008年1月17日(木)
今日は、とても寒い一日でした。北海道旭川市ではマイナス33度を下回ったとか。
東京も冷たい風が強く吹き寒かったです。ボクの事務所は南向きに大きな窓があり、暖房がいらないほど陽射しが温かいのですが、行き帰りに池袋駅と事務所を往復する自転車がつらかったです。
そうそう。
今日の朝、池袋駅から自転車に乗って事務所へ向かう途中、警察官が駐車車両のレッカー移動をしていました。池袋駅周辺は、駐車違反の取締りが厳しく、民間の取締係の人も多く見かけますし、レッカー移動も珍しいことではありません。
でも、今日見かけたレッカー移動は、なんと、「軽自動車の貨物車両」でした。
スチール製のコンテナには、運送会社の名前が大きく書かれています。
しかも、ハザードランプが点滅している貨物車両です。
いやー。びっくりしました。
警察は、「荷物を運ぶという仕事を担う車」までレッカー移動しちゃうんですね。
いや、もちろん、駐車違反はいけないことです。
駐車違反が、渋滞のもとになったり、事故の原因にもなったりすることは良くわかっています。違反をすれば、反則金の支払いや点数の減点という罰を受けなければならないのは当然です。
でも、貨物車両までもレッカー移動しちゃうのには、驚きました。
レッカー移動された車両のドライバーさんは、荷物を降ろしたのか、これから積むのか。それとも、伝票に書かれた住所をもとに荷主さんを探しているのかわかりませんが、レッカー車が到着するくらい長く駐車してしまったのでしょう。
でも、「荷物を運ぶという仕事を担う車」をレッカー移動されたら、「荷物を運ぶという仕事」ができなくなってしまいます。
ドライバーさんが支払う反則金やレッカー代などは、いったいいくらになるのでしょうか。
そして、この日のドライバーさんの労働賃金は、いくらなのでしょうか。
きっと、荷主さんや会社も業務に支障が出ることになるのでしょう。
ドライバーさんにとって、「ついてないや」とか軽く済まされるような日じゃないように思うのです。
駐車違反はいけないこととです。
駐車違反の切符を切られることも、しかたないでしょう。
でも、貨物車両までレッカー移動してしまうとは。
なんか、やるせない一日でした。

 2008年1月5日(土)

年末、有馬記念の前日に中山競馬場へ行き、年明けの金杯(初日!)にも中山競馬場へ行って来ました。
いつもの時間に指定席の整理券配布場所へ行くと、すっごーくたくさんの人出で賑わい、長蛇の列ができていました。ほんと、長い蛇。
こんなの数年ぶりですよ。びっくりしました。
きっと、1月5日が土曜日になったことも影響しているのでしょうね。
ボクは、例年通り1月4日に事務所開きをしましたが、6日までお休みする方が多いせいか、届くメールが少なかったのですが、昨日(7日)の受信ボックスにはたくさんのメールが届きました。
まさに「今年も本格稼動!」を実感しました。
受信したメールには友人たちから「あけおめ(笑)」が多くありましたが、新しく、デザイナーさんや企業さんから撮影ご依頼も数件いただきました。
昨年もお世話になった皆さんからも、新しいプロジェクトへの参加打診もありました。
幸先のいい「本格稼動」です!

 2008年1月4日(金)
お正月は、のんびりしました。
今日から事務所開きです。
1997年1月に、今の場所にスタジオ(事務所)を開設しましたので、ちょうど丸々10年が経過しました。
10年の間に、いろいろなことがありました。
楽しいこと、嬉しいこと、幸せなこと。
喜怒哀楽という言葉がありますが、「怒」や「哀」は、あまりなかったように思います。
あったのかもしれませんが、「喜」や「楽」のほうがたくさんあって、「怒」や「哀」は雲散霧消という感じです。
さまざまな方と出会い、充実感いっぱいの仕事させていただき、やっぱり楽しくて嬉しくて幸せな10年でした。
東京都内の、ほぼ真ん中あたりに、こうやって撮影スタジオを持ち、生活させてもらえているボクは幸福なのだなあと、10年を振り返って思います。
「撮影スタジオを都内に持つ(=作品を生み出すアトリエを都内に持つ)」ということは、カメラマンの道を志したときからの夢というか目標のひとつでした。
そのひとつの目標を実現し、10年間も継続できたこと、それ自体が幸せなことと思っています。
いい写真をいっぱい撮りたいので、もっともっと一生懸命に頑張ります。

 2008年1月1日(火)
2008年の幕開けです。
あけまして、おめでとうございます。
昨年末には、いろいろな忘年会に出席さてもらい、たくさん写真を撮られました。
ボクは、撮ることが大好きで、いつも撮るばかりで撮られることは少ないのですが、昨年末は、いろいろな人に撮られました。
撮られることが「こんなに恥ずかしいのか」と思いながらも、できあがった写真の中のボクの顔、そんなに悪くないんです!
いや、別に、今さら格好いいとは思わないのですが、なんか、「いい笑顔!」なんですよ。
そういえば、みんなから「悩みない毎日でしょ」とか、「幸せな笑顔だよな」とかと、よく言われているのです。ボクにも、人知れず悩みや苦労や叫び出したくなることはいっぱいあるので、「幸せな笑顔」とよく言われていてもピンッとこなかったんです。
でも、昨年末に撮ってもらった写真のどれもにも、幸せそうな笑顔ばかりです。
いやー。
「ボクって、こんな笑顔なんだ」って初めて知りました。
なんか、嬉しいなあ。こういう笑顔の自分。ちょっと、ナルシストになっちゃいそうです。(笑)
そうそう。
「人は、一生のうちで、絶対に直接見ることができないものがひとつだけある。それは、自分の顔」という話を聞いたことがあります。
考えてみたら、鏡に映したり、写真に写したりすれば自分の顔を見ることができますが、でも、それは鏡とか写真とかに映ったものであり、直接見えているわけではないのです。
「他の人は、どんなふうにボクのことを見ているんだろう」
「他の人からは、ボクはどんなふうに見えているんだろう」
ちょっと気になっていました。
でも、たくさん写真を撮られ、その写真のどれにも「いい笑顔!」でボクが写っています。
なんか、嬉しいなあ。
そう。
今年は、「なんか、嬉しいなあ」ということが、たくさんたくさん感じられる一年にしたいと思います。


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By;Osamu Hasegawa