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【自儘な自論 6】
 集団的自衛権の行使容認は、納得できません
集団的自衛権の行使容認に関する閣議決定がされてしまいました。
安倍首相の説明では「集団的自衛権を行使するのは、日本または密接な関係国が武力攻撃され、日本国民に危険が及ぶとき」と言いますが、そもそも、この前提に疑義が生じると思うのです。
ここで言う「密接な関係国」とは、おそらくアメリカを念頭にしているのでしょうが、では、日米安保との整合性はどうなのでしょうか。
かつて、大勲位首相が「日本列島は不沈空母」と宣うほど、青森から沖縄まで、首都である東京にさえ基地を置いて軍事行動を展開する在日米軍は、何のためにあるのでしょうか。



日米安保に則って考えてみると、喩えは悪いですが、「在日米軍は日本の用心棒」なのであり、その用心棒の基地として土地を貸付けているのだと思うのです。
だからこそ、安倍首相の言う「日本国民に危険が及ぶとき」には用心棒である在日米軍が対処すべきであり、「「日本国民に危険が及ぶとき」には在日米軍が対処する」ということは日米安保にも明記されているではありませんか。
さらに言うなら、用心棒に加勢するなんて心得違いもはなはだしく、手助けされるなんて用心棒の名折れであり赤っ恥も良いところではないでしょうか。
用心棒には手出し無用なのです。
したがって、「日本国民に危険が及ぶとき」を前提にする集団的自衛権についての議論は、空論であり愚論なのです。



石川文洋さんの写真展「戦争と平和・ベトナムの50年」
今年の5月下旬に銀座で催された石川文洋さんの写真展「戦争と平和・ベトナムの50年」を拝見しましたが、そこに掲げられた1枚1枚の写真は、ベトナム戦争の悲惨さや苦しみ、そして今なお残るする枯葉剤の影響を雄弁に語っていました。
日本がオリンピックや経済成長に浮かれていた同じ時代に、飛行機で半日も飛べば着いてしまう近い地域のベトナムでは、軍隊と市民ゲリラ部隊が銃を向け合っていたのです。
そういったことを雄弁に語る写真の中の一枚に、「韓国は集団的自衛権を行使し、約31万人を戦場に送り、約5千人が戦死」という主旨のキャプションがありました。
当時の韓国は、アメリカに引き連られるようにしてベトナム戦争へ踏み入り、「集団的自衛権」の名のもとに30万人を派兵し、5千人の犠牲者を出したのです。
石川文洋さんの写真は、ほんの少しの50年前に起きたベトナム戦争の事実をとらえたものでですが、ほんの少しの時間を経たのちに「日本は集団的自衛権を行使し」というキャプションの付く写真を、ほんの少し先の世代のカメラマンが撮影することになるではないでしょうか。

石川文洋さんのほかの写真では「戦争は、「国益」のために起こす。その戦争で、生命が脅かされ、街や文化施設が破壊される。「国益」のために、国民が犠牲になる(主旨)」というキャプションがありました。
国民が犠牲になる「国益」なんて、おろかで、おかしくて、絶対に間違いです。
国民がいてこその国であるのに、国に益するために国民の生命や財産が犠牲になるという矛盾には、何が何でも抗わなければなりません。



そうそう。
東京都議会では、少子高齢化に関する討議をする女性議員に「お前が産め!」という野次が飛んだそうです。
安倍首相が集団的自衛権に関する答弁をするときには、「お前が戦場へ行け!」という野次を国会議員の先生方に、ぜひとも飛ばしてほしいものです。

(2014年7月21日 記)


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By;Osamu Hasegawa