【雑記帳 〜常日頃に思うことの羅列〜 2016年1月】 |
2016年1月31日(日) 思い出の川口アパート |
ここは、もともとサッポロビールの工場があったところです。
そして、実は、ボクは、博報堂でアシスタントをしているときに、この近くのアパートを借りていました。
終電に間に合わないことも多く、川口や浦和くらいまでならタクシーで帰っても良かったので、川口にアパートを借りました。
それと、思う存分、気兼ねなく、誰に気を使うこともなく、ライティングの勉強をしたかったこともあります。
使用期限が切れたフィルム、球切れ寸前の赤くなったアイランプ、ネジが外れて動きがぎごちなくなったスタンド、撮影で汚れてしまったケント紙などを博報堂でもらってきて、夜中や休みの日に、ごそごそやっていました。
あっ。
あと、当時に付き合っていた女の子とも・・・・あはは。(笑)
この部屋は北向きで、夏でも涼しく、冬は痛いほど寒さが凍てついていました。
風呂なし、トイレ共同で、家賃が2万円しなかったと思います。
そういう、なんというか、自分が何者なのか自分自身でさえわからず、自分が何者になれるのか、いつも不安が胸の底にあったときの思い出のアパートです。
そして、写真も恋も学んだ、ほんとうに懐かしいアパートです。
スタジオ(事務所)との行き帰り、電車が川口駅を通過するたびに「あのアパートは、今もあるのだろうか」と、ぼんやりと思うこともありました。
先日、川口のイトーヨーカ堂へ行ったときに、立ち寄ってみたら、今なお健在だったのです。
ボクが借りていたときも相当に古かったので、「もう取り壊されて、新しい建物に変わっているのだろうなあ」と思っていました。
「取り壊される前に、もう一度、ひと目だけでも見たかったなあ」と思っていたので、今も残っていてくれたことが、とっても嬉しかったです。
ボクの部屋は二階建ての最上階の2階で、借りていたときには1階が居酒屋さんでしたが、床屋さんに替わり、今は誰も借りていないようです。
そして、ボクが借りていた部屋も、誰も住んでいないようです。
それでも、あの当時の佇まいを残しています。
なんか、ほんとうに懐かしくて、そして、「ボクは、まだまだ足りないところがたくさんあるけれど、カメラマンとして暮らしています」と感謝の思いを抱きながら、ずっとずっと見つめてしまいました。
このアパートのおかげで、今のボクがいるのです。
このアパートが、今のボクにつながっているのです。
2016年1月30日(土) 為吉 北町奉行所ものがたり(著・宇江佐真理) |
生家である江戸の尾張町で呉服屋を営んでいた摂津屋が押し込み強盗に遭い、母の機転で生き残り、奉行所の中間として生きる若者を主人公にする物語りです。
中間として働く中で、押し込みの遠因は自分にあるとわかっても、誠実に忠実に生きていくと、やがて、恋や幸せな家庭が待っていました。
愚直でも目の前の仕事に取組み、誠実に生きることこそ、人として幸せになる道なのだと説いているような作品でした。
2016年1月29日(金) キヤノンって、ほんとダメダメな・・・ばか |
窓口で修理伝票を確認したら、保証期限が半年後になっていました。
カウンターの向こうに立つヤツに「センサー清掃も、保証が半年になったのですか」と聞くと、「書いてあるとおり、センサー清掃は2週間です」と、のたまいます。
表面には、そんなことを一言も書いていないので、「書いてあるって、どこに書いてあるのですか」と聞くと、そいつは、「書いてある、なんて言っていません」と言い張りますが、隣に立つヤツは、「裏面に書いてあります」と言い放ちます。
自分の言っていることが間違っていることを認めず、「そんなこと言っちゃあいねぇ」と言い張る、大ばか者です。
それに、表面に保証期限を半年としながら、目立たない、もしくは見ることのない裏面に2週間と記すことが許せないので、「んじゃあ、保証期限を2週間後の日付に訂正してください」と言うと、なんと、「システム上、半年後になってしまうのは変えようがない」って言います。
え〜っ、っていう感じです。
キヤノンって、そんなチープで、使えないシステムを使っているなんて、え〜っていう感じます。
だから、ろくでもないプリンタしか作れないのです。
数年前には、清掃を精巣って変換しちゃうし、ほんと大ばか者です。
そうそう。
「システムじゃあ修正できないので、手書きで良いですか」と言って、修正しています。
でもさあ、2月11日って、祝日じゃないですか。
祝日って、キヤノンのサービスセンターは休業日ですよね。
っていうことは、今回の修理の保証期間は2週間である14日間ではなく、実質13日間にしちゃっています。
裏面には「2週間は保証」としながら、表面では「13日間しか保証しない」と修正するなんて、キヤノンが、ほんと大ばか者の証左です。
キヤノンは、社長だったか会長だったかが代わるそうですが、企業として構成する人間たちの脳味噌そのものを変えなきゃならんのではないでしょうか。
キヤノンって、ほんとダメダメな大ばか者の集まりなのかもしれません。
2016年1月26日(火) 片倉パークって |
ところが、イトーヨーカ堂と言っても食品と衣料がちょぼちょぼと置いてあるだけで、あとは、専門店が並ぶショッピングモールになっていました。
今回の撮影で使いたいものは、高級品やブランド物を扱っているデパートでもなく専門店でもない、イトーヨーカ堂のようなお店で扱っているものが良いなあと思っていたので、ちょっと残念でした。
まあ、イトーヨーカ堂は、川口にも赤羽にもあるので、そちらで入手できたので良かったのですが、片倉パークって、あんなふうになっちゃったんですね。
ロッテリアでアルバイトしているときとは、まったく違っていました。
なんか、むむむっていう感じです。
むむむって感じるのは、まさに感覚的なもので根拠や論拠はありませんが、「なんかなあ」と思いました。
2016年1月25日(月) 馬券が良い感じです |
先々週に、今年初めて行った中山競馬では散々でしたが、先週も今週も、万馬券や高配当馬券がバシバシ当たっています。
昨年も、1レース目から好配当でしたし、初めて行った中山競馬でも万馬券が的中して、グイグイと良い一年でした。
なんか、今年も、グイグイと良い一年になるように思えてきました。
2016年1月24日(日) 天国旅行(著・三浦しをん) |
ユーモアとウィットに富む作風の三浦さんなので、「天国」を舞台にするユニークなストーリーが展開されるのかと思ったのですが、「死」をテーマにするシリアスなお話でした。
終わりの印象がある「死」ですが、絶望や失意ではなく、希望や未来を感じられるのが、こう言っちゃあナンですが、三浦しをんさんらしい作品なんだと思いました。
2016年1月18日(月) 大雪です |
昨日の夜に外を見たら、小雨がパラパラするくらいだったので、「大雪になるなんて、また天気予想は大ウソこいたな」などと思っておりました。
雪は、夜中に降ったようで、かなり積もっています。
その影響で、宇都宮線が運転見合わせになってしまいました。
今日は、午前に届く商品をスタジオ(事務所)で商品撮影を予定しています。
でも、クライアントさんやデザイナーさんにきていただくのではなく、ボク一人で撮影することになっているので、ちょっと安心しています。
極端に言えば、今日中にスタジオ(事務所)へ辿り着ければ良いかなあ、というくらい鷹揚に考えています。
まあ、商品を届けてもらう時間を調整なければなりませんが、天候によるものなので致し方ないです。
考えてみたら、明日や明後日じゃなくて良かったです。
明日と明後日は、「この時間に!」という動かせない予定の撮影なので、少し余裕が持てる今日が大雪で良かったなあと思います。
今日に切迫する予定がある方々や雪に悩まされる豪雪地域の方々には申し訳ないですが、大雪が今日だけでよかったと、つくづく思います。
雪が雨に変わりました。
きっと、もうすぐ、電車は運転再開になるでしょう。
そろそろ、そろそろと歩きながら、駅へ向かおうと思います。
2016年1月17日(日) 阪神・淡路大震災から21年 |
高速道路が倒壊し、大きなビルが横倒しになり、燃える家並みの前で手を出せずに呆然と立ちすくんでいる人たちなどを伝える映像は、21年の時間を経ても忘れられません。
あの震災で、関西へ行くたびにお会いしてもらっていた方の奥様が亡くなられています。
関西へ行くたびにお会いしていた、もしくは今もお会いしている方々も、直接に間接に罹災されています。
張り裂けるように心が痛み、案じた気持ちを21年の月日を経ても忘れることができません。
今年は、慰霊や追悼などの行事が少なくなっているそうです。
21年といえば、大震災後に生まれた赤ちゃんが成人する歳月です。
きっと、20年をひとつの区切りにされた慰霊行事もあるのでしょう。
でも、慰霊行事がなくなったからといっても、大震災を忘れることではないと思うのです。
被災地から遠く離れたところにいたボクでさえ、崩壊し延焼する街や止め処もなく涙を流す人たちを忘れられないのですから、被災された方々は忘れることはないと思うのです。
大切なことは、慰霊行事ではなく、忘れないことなんだと思います。
あの、どうしようもなく持って行き場のない哀しみとか、どうなっていくのだろうと不安ばかりだった気持ちとか、瓦解した街を再興しようと涙をぬぐって奮起した人々の勇気を。
ずっと、忘れないでいることが大切なのだと思います。
2016年1月14日(木) 日が長くなっています |
たいがい同じ時間に起きて、同じ時間に雨戸を開けるので、日の出の時刻が早くなってきているのだと思います。
夕方も、これまでは4時を過ぎると暗くなってきて、スタジオ(事務所)の中に一人でいると寂しく思えるときもありました。
でも、暗くなり始めは5時くらいになってきたように思います。
日の出が早くなり日の入りが遅くなっているということは、日が長くなっているということです。
ほんの少し前は、明けの明星が美しかったです。
ゆっくりと季節は春へと進んでいるのだと思います。
きっと、2月には寒さが深くなり、雪が降るかもしれません。
でも、太陽の巡りだけをみると、春へと季節が進んでいきます。
2016年1月13日(水) ふじこさん(著・大嶋真寿美) |
文學界新人賞受賞作品「春の手品師」が収録されているのですが、それよりも、カメラマンとしては「夕暮れカメラ」に惹かれました。
写真が持つ力、そして、写真では成し得ないこと。
自分の力、そして、自分では成し得ないこと。
「またカメラを持ってこの町をうろうろしている」という一文が、そういうことを表しているのではないかと思いました。
2016年1月12日(火) むむむの三連休 |
5日に金杯がありましたが、その日は混雑するし、最初の週の土曜日は空いているので、土曜日に行ってきたのです。
東京競馬場へは1ヵ月に1回くらいで行っていますが、中山競馬場へは昨年の4月に行って以来です。
久しぶりのせいか、広い東京競馬場に慣れてしまっているせいか、狭く感じます。
狭いからだけのせいじゃないですが、なんか、散々な馬券になってしまいました。
馬柱を見ると、まったく印が付いていません。
JRAの準オープン馬といっても、中京スポーツ杯を優勝したのは展開のアヤもありましたし、当然の予想です。
レースをインターネットでライブ中継を観ましたが、パドックの初めのころは落ち着いていましたが、後半はカリカリしてきて落ち着きがありませんでした。
7歳になっても気性に問題があるようで、これが、突き抜けられない原因なんだと思います。
案の定、スタートから後方になってしまい、途中で気持ちが切れて投げ出していまったのがわかりました。
年齢を重ね、環境が変わり、といったことで、もう少し気性が良い方向へ行くのかなあと思いましたが、そう簡単にはいかないのが世の中というものなのでしょう。
次があるのなら、もうちょっと、何とかならないものかと願います。
というか、祈ります。
2016年1月7日(木) 明けの明星 |
雨戸を開けると、東の空に三日月と明星が接近して、美しく輝いています。
良く見ると月の影の部分もわかり、輪郭が見えてきます。
夜の暗闇が、日の出とともに明るくなる空に溶けていきます。
こんなにきれいな風景は、寒い朝に早く起き出したものへの褒美なのだと思います。
2016年1月5日(火) 初競馬 |
東スポの特別レースの馬柱には、騎手の前週の成績データが載っていますが、今日の新聞には、前週ではなく昨年一年間の成績が載っていました。
デムーロ騎手は639戦で118勝、ルメール騎手は573戦で112勝と、やはり凄腕です。
それに引き換え、松岡騎手は745戦もしているのに33しか勝っていませんし、吉田豊騎手は745戦で59勝です。
もちろん、外国人騎手には力のある馬がまわってくるので単純な比較はできませんが、それ以上に乗っているのに半分どころか、4分の1しか勝てていないのです。
こういう成績が示すデータを見ていると、頼りになる騎手、ならない騎手が見えてきます。
すなわち、人気の馬に乗っていても切るべき騎手がいて、こういう騎手が人気馬に乗って馬券外に消えてくれると、高配当になるということだと思います。
2016年1月3日(日) スタジオ(事務所)開き |
まあ、何かをするというワケではないのですが、年が明けたら、なるべく早く新年の空気をスタジオ(事務所)に通したいと思い、毎年1月2日にスタジオ(事務所)を開くことを恒例にしているのです。
毎年、1月2日にスタジオ(事務所)開きをすることも、何かをするというワケではないことも例年です。
例年どおりに新しい年を迎えられたということは、例年どおりに平穏で良い一年になるのではと思っているところです。
こういう広がりのあるきれいな空は、なんか、年明けに相応しいんじゃないかと、ひとりごちてしまいました。
2016年1月2日(土) ひょうたん(著・宇江佐真理) |
江戸の五間掘沿いで古道具屋を営む夫婦、主人の幼馴染の料理屋主人、酒屋の主人、駕籠舁きを取り巻く出来事のストーリーです。
この時代だからこその人情と友を思いやる温かい気持ちが紡がれています。
あの時代だから、ではなく、この時代にも大切な気持ちなのだろうと思います。
なんか、「今年は、こういう気持ちを大切する一年にしよう」と教え示唆するような作品でした。
2016年1月1日(金) 年明け |
ここのところ、穏やかな天候が続いていて、今日も穏やかな朝です。
今日が穏やかな朝ということは、今年の年明けも穏やかな朝ということです。
今年も、ずっと、こうして穏やかな一年になってほしいと願っています。
祈ることしかできないけれど、穏やかに大過ない一年にと願っています。