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【ちょっと自慢させてください 4】
 これからはじめる商品撮影の教科書 中国語版 2
これからはじめる商品撮影の教科書 中国語版
2014年秋に出版した「これからはじめる商品撮影の教科書」という写真撮影の解説書籍が、中国語版に翻訳され、版元さんからお送りいただきました。
昨年の今ごろも、同じように中国語版に翻訳した本をお送りいただいたのですが、前回のは「繁体字の中国語版」で、今回のは「簡体字の中国語版」のようです。
まあ、前回のは台湾版で、今回のは大陸版」と言ったところなんだと思います。
いずれにしても、自分の名前が記された出版物が、日本国内だけじゃなくて、いろんなところで出してもらえるのは嬉しいですし、ちょっと誇らしいです。

 新聞に載っちゃいました 8
東京新聞 2017年2月20日(月)付 発言欄(ミラー)
今月初め、京浜急行の新馬場駅を降りて取材撮影させていただくお店に向かっていると、品川神社の参道商店街でスイカカードが落ちているのを見つけました。
JR赤羽駅と新馬場の定期券にもなっていて、有効期限が4月までと2か月近くも残っています。
落とした人は、あとになって気づいて探すとしても、利用していることが明らかな新馬場駅に問い合わせするだろうことは、容易に察しがつきます。
それに、新馬場駅から電車に乗るときに出そうとした定期券が見当たらなかったら、その場で改札脇の窓口を尋ねると思うのです。
ですから、新馬場駅の窓口に届けたのですが、駅員は「構外の落し物は受け取れない」と言い張りやがりました。

「財布とかなら交番に届けるけど、新馬場を利用している人の定期なんだから、落としたことに気づけば、ここに来るでしょ」(長谷川)
「でも、駅の構外のものは受け取れない」(駅員)
「落とした人は、必ず、ここに来るから預かるべきです」(長谷川)
「いや。預かれません」(駅員)
と、やり合っているところに、女性が「定期券を落としてしまったのですが、届いていませんか」と駆け込んできました。
「え〜と」と言って長谷川の手元を見る駅員。
「●●(女性の名前)と言います。落し物で届いていないでしょうか」と駅員に問いかける女性。
「あっ。ここに書かれている名前と同じですね」と、手にするスイカカード定期券を目にする長谷川。
「私のです」(女性)
「おぉ。良かった、良かった。今届けたのですが、駅員さんが受け取れないと言い張るので、交番に届けようと思っていたのです」(長谷川)
「ありがとうございます」(女性)
「渡しちゃっていいですよね」と駅員に確認する長谷川。
「はい」と小声の駅員。

ということの顛末が、先日の東京新聞に掲載されました。
なんというか、「人の思い」を忖度できないというか、慮ることができないというか、思慮深さがないのです。
こんなんで、「困っている人に声をかけましょう」って、よく言えたもんだって思います。
「こんなヤツらに言われたかなねぇぞ」って思うのす。

今回の出来事は、私怨私憤です。
でも、きちんと「社会問題」というような書き方をすれば、きちんと新聞は取り上げてくれます。
キヤノンが間抜けなことをするので問合せしたら、間抜けな回答しか返ってきません。。
自宅裏の耕作放棄地が燃えたことも、白岡市に問い合わせしましたが、やる気のない回答です。
いずれも私怨私憤ですが、見方書き方を社会問題に膨らましてやろうかと企んでします。

−−−−−−−−(以下は、今回の掲載文の原文です)−−−−−−−−

京浜急行の新馬場駅を下車し、取材撮影の現場へ向かう途中、駅を出てすぐにある参道通り商店街の歩道にスイカカードが落ちているのを見つけた。
赤羽駅と新馬場駅の定期券で、有効期限が4月までと2ヵ月近くも残ってる。チャージもしていたら、落とし主は慌てていることだろう。
そこで、定期区間から推測して、「新馬場駅は必ず利用するだろうから、駅に届けておけば良い」と思い、改札脇の窓口に持って行った。
ところが、駅員は「構内での落し物は預かるが、構外に落ちていたものは受け取れない」と厳に言うのである。
「駅の利用者のものだから、受け取って“定期券を預かってる”と張り紙しておけば、落とし主が尋ねてくるだろう」「でも、預かれない」などと押し問答をしている矢先。
「定期を失くしたのですが、届いてまいせんか」と、窓口へ女性が駆け込んできた。
どうやら、紛失に気づいて探していたようで、「受け取れない」と言い張っていた駅員の目の前で、スイカ定期券を持ち主のもとへ無事に戻すことができた。
今、公共交通機関各社では、「困っている人には手を差し伸べよう」という旨を呼びかけている。
身体的なことではなくとも、定期券を紛失した人も「困っている人」の範疇に入るのではないだろうか。ほかにも、行き慣れない場所では電車の乗り場がわからず困ることもある。
「手を差し伸べよう」と呼びかける側が、困っている人の気持ちを想像したり寄り添えないのでは、てんで話にならない。
構外の落し物を受け取らないのは、京浜急行の規定なのか駅員の資質の問題かはわからない。しかし、いずれにしても、困っている人への想像や配慮が著しく欠如しているということだけは間違いない。

 文学賞の最終選考にノミネート!
選考結果の書類
ボクが書いた小説が、文学賞の最終選考にノミネートされました。
まあ、文学賞と言っても、直木賞とかノーベル文学賞とか、でっかい賞ではなく、岡山県笠岡市教育委員会が主催する「木山捷平文学選奨短編小説賞」というものです。

それに、「最終選考の10作に残った」というだけです。
けっして、受賞したというわけではありません。

あと、年明けの1月18日に選考会議があり、その日の午後5時に「受賞者のみ」に電話があり、電話がなければ「選外」ということのようです。
なんか、電話があるのかないのか、ヤキモキしなければならないのは、気もそぞろというか、もやもやしてます。
もやもやしながらの年越しっていうのも、なんだかなあとも思います。

でも、初めて書いた小説が、最終選考にノミネートされただけでも、とても嬉しいですし、ちょっと誇らしく思います。

あぁ。
でも、やっぱり、もやもやします。

 新聞に載っちゃいました 7
東京新聞 2016年6月18日(土)付 発言欄(ミラー)
東京新聞の朝刊に載っちゃいました。
参議院議員選挙を前に、政権批判です。
銀行から金を借りて返さなければ、借金取りに追われるのは当然のことです。
でも!
「こういう政策のために票を入れてくれ」と宣い続けて当選しても、誰も何も成果を出せないくせに責任を取らないことに、ボクはずっと激怒し続け、呆れ果てています。

経営者は「事業のために金を」と銀行から融資を受ければ、計画どおりに収益を上げて返済しなければならないし、ほとんどの経営者は返済しているのです。
そして、もし経営に失敗して返済できなければ倒産であり、破産という責め苦を受けなければならないのです。
同断で、「事業のために金を」ではなく「政策のために票を」と言葉を入れ替えて議会に入るのが政治家であるのなら、掲げた政策を実行しなければならないはずです。
では、どれだけの政策を実現させたのかといえば、ちっちゃい字で書いていた「戦争法案の成立」くらいのものです。

という発露で書いた文を東京新聞に送りました。
まあ、政権与党の議員たちには激怒していますが、野党の潮垂れなダメさ加減にこそ、呆れ果ているのですけどね。
与党には怒りの感情しか湧いてこず、野党には所期するものはないのだから、政治不信とか無関心とか、投票率の低下とかになるのだと思います。
ほんと、国も地方も、議員たちって莫迦ばっかりであり、不要であり不用です。

そうそう。
今回は、「子育て世代からは「日本、死ね」と」と書いたら、子育て世代からは「保育園落ちた」に修整されちゃいました。
あと、文字数をオーバーしているので、編集されてしまいました。
まあ、言いたいことはいっぱいあるから、ついつい文字数が増えてしまったのは致し方ないって思います。

−−−−−−−−(以下は、今回の掲載文の原文です)−−−−−−−−

企業が事業を拡大したり、会社を新たに設立して起業したりするときの資金として銀行から融資を受ける。このとき、事業計画書や資金計算書など細緻で綿密な書類を提出し、詳細で厳格な審査を経て融資が実現する。
そして、融資を受けた者は、計画書どおりに事業を行なって収益を上げ、その利益の中から決められた金額を返済していく。しかし、もし計画書どおりに収益を上げることができず返済が滞れば倒産であり、融資を受けた者は破産や一家離散など窮境に陥ることになる。
すなわち、「事業を行なうために金を貸してほしい」と願い出て融資を受けても、返済できなければ何らかの責めを負うのだ。
ところが、「政策を実現するために票を入れてほしい」と宣い続けて当選し、政策が現実のものにならなくても何ら責めを負わないのが、議員であり総理大臣なのである。
「景気を回復させ、地方を豊かにし、女性に活躍の場を与える」ということが、融資を受けるために提出する事業計画書に当てはまる自民党の選挙公約ではなかったのか。
世論調査では景気回復を実感できない人が6割以上もいて、都市と地方との格差は広がる一方で、子育て世代からは「日本、死ね」と呟かれてしまう始末である。あまつさえ、消費税引き上げ再延期の原因を「リーマンショック直前並みの景気」と嘯くことは笑止千万だ。
「リーマンショックのような状況になった」のではなく、「そうなるかもしれない」という未然を言い訳にしたら、「大災害の予想」「戦争が予測」とずっと再延期になってしまう。第一、「世界経済はおおむね堅調」という見解が国際的には大方である。これではまるで、政府与党の議員たちが「僕は悪くないもん」と駄々をこねる幼児に見えてくる。
自分たちが掲げた政策が実現できないのは見通しが甘かったのであり、なんの責を負うことなく平気の平左で議員の席にしがみついているのは鼻持ちならない。
どんな理由でも返済ができなければ「次の融資」を銀行がしないように、与党の議員たちに「次の票」を入れることは絶対にない。


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By;Osamu Hasegawa