商品写真やスナップ写真、モデル撮影のグラビア写真、店舗・建物写真などのほか、取材やインタビュー、原稿作成なども評価が高いフリーカマラマン長谷川修のホームページ。写真撮影のほか、動画の撮影、取材やインタビュー、原稿作成なども承ります。写真コンクールや文学賞などでも入賞や入選し、多くの賞を受賞しています。写真も文章も高評価をいただいています。



【ちょっと自慢させてください 4】
 メトロ文学館で優秀賞
優秀賞受賞作品「微笑み」
優秀作品の通知
作品「微笑み」 生原稿
東京メトロ(主催はメトロ文化財団ですけど)の「第29回メトロ文学館」に応募した作品が優秀賞に選ばれたという通知が届きました。
前回は入選でしたが、今回は応募総数543編から6編が選ばれる優秀賞を受賞し、7月から9月の何日間か東京メトロの電車内に中吊りポスターとして掲示されるそうです。
それこそスマホも良いですけど、たまには車内を見上げて中吊りにもご注目してみてください。

今回の作品は、柄にもなく恋バナです。
ボクだって、こういう作品をたまには書くのです。
念のために申し上げますと、この話はボクの経験や実話ではなくフィクションですから、お間違いなく、です。

この「メトロ文学館」って、年に一回かと思っていたのですが、春と秋の二回行っているそうです。
書きためている作品がけっこうあるので、きっちり仕上げて秋にも応募できたら良いなあと思います。

そうそう。
今回も昨年同様、作品はポスターになって、7月13日(土)から19日(金)まで、地下鉄三越前駅の銀座線と半蔵門線の連絡通路に展示されるそうです。
また、来年1月には葛西にある地下鉄博物館でも展示予定とのことです。
いやー。
このメトロ文学館って、なんか良いなあと思います。

 メトロ文学館で入選
入選作品「エール」
入選の通知
作品「エール」 生原稿
東京メトロ(主催はメトロ文化財団ですけど)の「第27回メトロ文学館」に応募した作品の入選通知が届きました。
働き始めて最初に配属になる部署の上司や先輩がどんな人なのかによって、社会人生活って、大きく違ってくると思うのです。
そんな思いを綴った一文が評価され、入選しました。
とっても誇らしく、とても嬉しいです。

「今のボク」は企業とかに属してはいないけれど、高校生のときにアルバイトをさせてもらった東武ストアの社員の皆さん、専門学校生のときにアルバイトをさせてもらったロッテリアの社員の皆さんやバイト仲間にとっても良くしてもらいました。
そして、写真を学んだ博報堂写真部の皆さん(トラフィックやスタイリストの方々も)に、いろいろな言葉をかけていただきました。
特に、師匠や兄弟子たちには、ときには奈落に突き落とされるような言葉(笑)もかけられましたが、でも、それも含めていろんな言葉に諭され教えられ、導かれて「今のボク」なのです。

高校や専門学校の同級生たちとは今でもつるんでいますし、ボランティアで事務局をしていた障害者乗馬のコアメンバーとも活動を離れてもなお交遊させてもらっています。
フリーランスになってからも、いろいろな方とお会いし、いろいろな仕事を通して、いろいろなことを学ばせていただきました。
やはり、どういう人と出会うのか、どういう人と出会えるかって、大袈裟かもしれないけれど人生を大きく左右するなあと思うのです。
だから、今まで出会い、同じ時を過ごした全ての人への感謝の思いで一文を綴りました。

作品はポスターになって、7月20日(金)から27日(金)まで、地下鉄三越前駅の銀座線と半蔵門線の連絡通路に展示されるそうです。
また、来年1月には葛西にある地下鉄博物館でも展示予定とのことです。

 新聞に載っちゃいました 12
東京新聞 2018年7月14日(土)付 発言欄(ミラー)
九州、中国・四国、中部と西日本は、大雨による河川の氾濫で家屋が破壊され街が土砂に埋もれ、たいへんな被害がでています。
そして、毎年、夏から秋にかけて日本のどこかで同じような被害が出ています。
関連する思いを綴ったところ、東京新聞が取り上げてくださいました。

総務省消防庁では市町村長の危機管理意識と災害対応力の向上を図り、大災害による被害を最小限に食い止めようと、毎年6月に全国の市長を対象とする「全国防災・危機管理トップセミナー」を開催しています。
このトップセミナーは、熊本地震や九州北部豪雨の対応にあたった市長が自らその経験や反省などを発表したり、防災の研究者が講話したりする内容で、全国の市長が心得るべき知見なんです。
でも、このセミナーに参加する市長は200名前後です。
開催日程を全国から市長が東京に集まる全国市長会の会議に合わせているにもかかわらず、この数字です。
たとえば、今年の全国市長会の出席数は643名ですから、6割以上の市長が不参加ということです。

この「全国防災・危機管理トップセミナー」が始まったきっかけは、広島市安佐南区と安佐北区で甚大な被害があった「広島市土砂災害」への行政対応の問題点を共有するためと聞きました。
これは、多くの命が失われた災害を、多くの命が失われた災害だからこそ、そこから「大災害に、どう備えるか」を学ぼうと始まったものなのです。
一昨年は鬼怒川が決壊して北関東で大きな被害が出て、昨年は日田や朝倉など九州の山間部で大きな被害が出ました。
今年は、昨年に大きな被害がなかった中国・四国の瀬戸内に暮らす人たちが傷ついています。
すなわち、それまで大きな被害がなかった地域でも、いつ大災害に見舞われるかわからないのです。
それでも、こういうセミナーに参加しなかった500近い市長たちは、「わしの地域は安全じゃ」とか、「生まれてこの方、大災害なんかなかってけん」とかと思っているのかもしれません。

阪神淡路も、東北も、熊本も、広島豪雨も、鬼怒川が決壊した常総も、九州豪雨も、多く命が失われました。
でも、その犠牲によって、地震に強い建築基準が整い、大津波や大雨、噴火などの特別警報ができたのです。
なぜ、500名もの市長たちは、多くの命を失った災害を学ぼうとしないのでしょうか。
なぜ、500名もの市長たちは、多くの命が教えてくれたことを学ぼうとしないのでしょうか。

そして、ボクが住む白岡市の市長はどうかと質問状を送ったら、「議会準備で、それどこじゃない」とか、「会議やイベントヘの参加は総合的に判断している」とかと、ぬかしよります。
すなわち、「市民の命と財産を守ることを学ぶセミナーよりも、議会準備のほうが大切と総合的に判断した」ということです。
なんか、呆れて言葉を失います。
そりゃあ、白岡は利根川から遠く離れているし、平地だから山が迫っているところもないです。
でも、荒川があるし、見沼代用水から引かれる小さな川が幾筋もあります。
暖気と寒気がぶつかって竜巻が起こって、大災害を引き起こすことがあるかもしれません。
白岡だって、絶対に安全ていうことは、絶対に有り得ないのです。
この市長にとって、市民の命や財産よりも優先すべき大切なことがほかにあるそうです。

ちなみに、この白岡市長って、ついこの前、選挙法違反で書類送検されました。
いわば、市長になった経緯そのもの、すなわち出自が疑われているのです。
なんか、余計に、この市長を許す気になれません。
隼人掘(白岡市庁舎近くを流れる用水)の河川敷で、打ち首獄門が妥当と思います。
打ち首獄門とまで言ってしまうのは言い過ぎと思いますが、出自が疑われていて、市民の命と財産を軽んじるなら、即、辞めるべきです。

−−−−−−−−(以下は、今回の掲載文の原文です)−−−−−−−−

今年は7月に入って九州から中部にかけて雨雲がかかり続け、とうとう七夕の日には河川が氾濫して全国各地に甚大な被害が発生した。昨年7月には九州北部豪雨、一昨年9月には関東・東北豪雨、2014年には広島市土砂災害など、夏から秋にかけて日本列島は激甚化した大雨と暴風にさらされる。また、首都直下地震や南海トラフ巨大地震などが予測される中、阪神淡路大震災の記憶を呼び覚ます地震が大阪北部で起こったばかりだ。
総務省消防庁では、こういった大災害による被害を最小限に食い止めようと、市町村長の危機管理意識と災害対応力の向上を目的に全国の市長を対象とする「全国防災・危機管理トップセミナー」を毎年6月に開催しているが、参加する市長の数は200名前後にとどまっている。
このトップセミナーは、各地から市長が集まる全国市長会の会議に日程を合わせて開催しているのだから、今年の会議に出席した643市長全員が参加しても良さそうだが、400名以上の市長はいつのまにか雲散霧消しているのである。
もちろん、このトップセミナーが万能であり、すべての問題を解決するとは思わない。また、被害を最小限に抑えるのは自助と共助がもっとも大切だと言われている。しかし、市民の生命と財産を守る最後の砦となるのは自治体による公助であり、そのトップである市長の見識と判断を磨く絶好の機会になるはずだ。
そして、自分が暮らす白岡市の市長はどうかと問うと、市議会準備を理由に不参加だという。市民の生命と財産よりも議会を優先させる市長の危機意識の薄さそのものが、被害を広げ大きなものにしてしまうのではないかと恐ろしくなる。

 新聞に載っちゃいました 11
東京新聞 2018年3月5日(月)付 発言欄(ミラー)
国際情勢や政治の問題が取り巻いて、開幕前や直後は白けムードの平昌オリンピックでしたが、日本人選手も大活躍したら、あっと言う間に大盛り上がりになってしまいました。
って、ちょっと斜に構えてみました。
でも、やっぱり、オリンピックって、国家や政治体制や民族の枠でどうこう言うことではなく、そんな低廉な思惑なんかに関係なく、アスリート個人個人の「人とは思えない、まさに超人的な躍動に心を打ち震わせる大会」と思うんです。
というようなことを思って書いたコラムを東京新聞が掲載してくれました。
まあ、「国家や政治体制という低廉な枠組み」って書いたのに、「低廉」を削除されちゃったのには「ちぇっ」って思うんですけど、まあ、新聞は公共財ですから致し方ないのかなあと思っている次第です。

−−−−−−−−(以下は、今回の掲載文の原文です)−−−−−−−−

開幕前には入場チケットの販売不振や北朝鮮との政治的駆け引きなどネガティブな印象が付きまといつつも、日本にとって冬季大会で最多のメダル獲得数という快挙を成し遂げる平昌五輪が閉幕した。スピードスケートやカーリング、スキージャンプ、スノーボードなどで活躍し、涙が出るほどの感動を届けてくれた全ての日本人選手には手の平が真っ赤に染まるほどの拍手を贈りたい。
そんな中でも注目したいのは、ロシアのドーピング問題である。
当初、潔白であっても「ドーピングは国家レベルの問題」を論拠に全ロシア選手が平昌五輪に出場することは認められなかった。
しかし、国際オリンピック委員会(IOC)などの話し合いの末、認定基準をクリアした選手は出場することが可能になり、この中には、女子フィギュアスケートで金メダルのザギトワ選手と銀メダルのメドベージェワ選手も含まれていた。
結果として、自分のような“にわかフィギュアスケートファン”であっても、2選手の美しく華麗な演技に息を飲み、魅了されたのだ。
もし、「ロシア全体の連帯責任としての制裁」ということで、潔白である選手たちも出場停止になっていたら、この胸に響く二人の演技を見られなかったのである。それは、2選手の気持ち、もしくはそれ以上に世界にとって悲しく不幸の極みだったのではないだろうか。
五輪は、国家や政治体制という低廉な枠組みを飛び越え、トップアスリートのたゆまぬ努力と鍛錬が結実する場所であることをあらためて窺知する大会だった。
さあ。次の五輪は、すぐそこにある。

 新聞に載っちゃいました 10
東京新聞 2017年10月3日(火)付 発言欄(ミラー)
8月下旬の朝、スタジオ(事務所)へ向かって春日通りの自転車専用道路を走っていると、細道から車が一時停止もせず飛び出してきました。
細道側には一時停止の標識と停止線があるのにです。
「危ねぇじゃねぇか」と睨みつけてやると、なんと赤色灯を屋根に乗っけてサイレンを鳴らさない覆面パトカーでした。
中には、「警視庁」というワッペンが付くビブスを着用する警察官が乗っています。
ちーっとばかり頭に血が上り、怒り心頭で事の顛末を書いてしまった次第です。
そうしたら、今日の東京新聞に掲載してもらえました。

まあ、言えば、このことは私憤であり、一時停止したかどうかはチッチャいことです。
でもですね、警察がしちゃあいかんじゃろ、と思うわけです。
だって、春日通りの左側車線は朝の時間帯にバス専用路線になるので、そこを通行する一般車両を毎日取り締まっています。
バス専用道路になっているなんて、毎日通る車しかわからんくらいチッチャいことを取り締まっている警察が、一時停止違反をして平気の平左っていうはダメです。

極めつけは、警視庁はホームページにおいて「交通違反の指導取締りを通じて、交通ルールの遵守と安全意識を高める」と声高に宣言しているのです。
自らのたまわったことができないなんて、「今年の夏休みの宿題は早めに終わらせる」と言っておきながら、けっきょく二学期が始まっても終わらない小学生のようです。
それに、助手席に座っていた警察官は一時停止違反をした警察官を取り締まらないのはなぜなのかと、大いなる疑念がふつふつとマグマのように噴き出してきてしまいました。

そうそう。
実は、江戸の検挙率の高さを「岡っ引きが市井の暮らしに寄り添い知悉し、庶民から信頼を得ていた」と記しましたが、編集部から「岡っ引きの中には渡世人やヤクザ稼業の者も混ざっていたので、このあたりは手を入れますね」とわざわざ連絡をいただきました。
まあ、新聞としては史実に則らないとっていうことなんだと思います。

−−−−−−−−(以下は、今回の掲載文の原文です)−−−−−−−−

事務所近くの春日通りの自転車専用通行帯を自転車で走行中、細道から進行する警察車両が一時停止しないために危うく事故になるところだった。この車両は、警視庁のビブスを着用する2名が乗車する覆面パトカーと呼ばれるものだったが、サイレンは鳴らしておらず緊急車両の状況ではなかった。
細道には一時停止の標識と停止線があることから、運転する警察官は道路交通法に違反したことになる。さらに、同乗する警察官は運転者に対し違反行為の告知を行っていない。
すなわち、警視庁はホームページにおいて「交通違反の指導取締りを通じて、交通ルールの遵守と安全意識を高める」と宣うが、「交通ルールを遵守せず、安全意識が低い警察官」と「交通違反の指導取締りをしない警察官」が警視庁内に存在するのである。
これについて警視庁に見解を求めたが、身内の道路交通法違反に頬被りする魂胆か、警察権力に驕っているからか明確な回答は示さない。
かつて世界最大人口の江戸市中の治安を守った岡っ引きは、科学捜査がなくとも高い犯罪検挙率を誇ったと言われる。おそらく岡っ引きが市井の暮らしに寄り添い知悉し、庶民から信頼を得ていたからであろう。
しかし現代では、犯罪白書によると検挙率は昭和28年の70%がピークで32%にまで落ち込んでいる。社会制度や風俗慣習が江戸とは異なるとはいえ、この数字は警察が地域コミュニティの把握を怠り、警察行政への市民の不信が募っていることの証左と思えてならない。
岡っ引きのように庶民から信頼を得るにはどうすべきか、一人ひとりの警察官が胸に手を当てるべきである。

 新聞に載っちゃいました 9
東京新聞 2017年8月7日(月)付 発言欄(ミラー)
先月、ネットニュースを見ていたら、「徳川美術館がツイッターのコメントを不適切として削除」とあり、「そんなことまで目くじら立てなくても良いじゃん」と思ったことを自論としてまとめ東京新聞に投稿したら掲載してくれました。
ちょっと嬉しいです。

それと、編集部からは「ちょっと文字を詰めてしまい申し訳ないです」とご連絡をいただきましたが、大きな添削がなかったのも嬉しいです。
写真撮影以外にも、「取材し原稿を書き」という仕事もさせてもらってもいるので、校閲のプロ中のプロである新聞社の編集者さんから添削がなかったことは、ちょっと胸を張っても良いかもと思っている次第であります。

−−−−−−−−(以下は、今回の掲載文の原文です)−−−−−−−−

ツイッターの内容が不快との指摘を受け、徳川美術館が謝罪しコメントを削除した。どうやら、お笑いタレントのネタを引用し国内の城の数を誤って発信したことが、「閲覧者を蔑んでいて不適切」ととらえられたようだ。
ほかでも、セクシー女優が出演している宮城県の観光動画が「卑猥」と指摘を受けているし、出張先で出会ったという設定の女性が名物料理を頬張るビールメーカーの動画は「下品」と言われて公開中止となった。さらに、私鉄のマナー啓発動画さえ槍玉に挙がり物議を醸している。
こういった写真や映像、言葉などのクリエイティブ表現をどのように感じるかは受け手の主観によるところだが、「何でもかんでも非難したモン勝ち」という風潮に辟易する。そんなに目を三角にするのではなく、寛容的になっても良いのではないだろうか。
そして、もっとも腹立たしいのは、送り手が抗することなくクレームを受け入れ無条件降伏し、削除や公開中止をしてしまうことだ。
年代や性別、住まう地域、価値観などが複雑に絡んで多様化する現代社会において、万人全てが心底から納得し容認するクリエイティブ表現をつくり上げることは、まずもって不可能であろう。男性目線での演出に鼻の下を伸ばす人もいれば眉間に皴を寄せる人もいる。昭和の風情を古き良き時代と懐かしむ世代もいれば共感できない世代もいる。パロディをユーモアととらえる人もいれば嫌悪感を抱く人もいる。
だから、送り手は安直なものをつくり出さないよう細心の注意を図り、そのうえで発信したならば苦情や非難を安易に受け入れるのではなく毅然とした姿勢で対応するべきだと思う。


 これからはじめる商品撮影の教科書 〜あなたも「プロ級写真」が今すぐ撮れる! 改訂2版
これからはじめる商品撮影の教科書 〜あなたも「プロ級写真」が今すぐ撮れる!」(技術評論社)が改訂になりました。
重版というのかどうかわかりませんが、原案や構成を考え、作例写真を全て考えて撮影し解説文を書き綴った書籍が改訂(重版)になるというのは嬉しいですし、誇らしいです。

スタジオ撮影は、カメラのしくみや操作など写真撮影の基礎のほかに、ライトやスタンドやディフューザーなど撮影機材についての知識、写真撮影にとってもっとも重要な「光」についてなどの基本がわかっていないと「良い写真」に仕上げることはできません。
この本を制作するうえで一番に心がけたことは「スタジオ撮影の基本とは」ということです。
その基本について丁寧に著し、さまざまな商品を例に具体的なライティング技術を示しました。
そういったことが評価されての改訂(重版)なのかなあと思いますし、アマゾンのレビューでも、とてもありがたい書き込みをいただいています。

なので、やっぱり嬉しいですし、誇らしいです。
ぜひ、お手にとって一家に一冊どうぞよろしくお願いいたします。

 ・この書籍のホームページ
 ・技術評論社のホームページ


 これからはじめる商品撮影の教科書 中国語版 2
これからはじめる商品撮影の教科書 中国語版
2014年秋に出版した「これからはじめる商品撮影の教科書」という写真撮影の解説書籍が、中国語版に翻訳され、版元さんからお送りいただきました。
昨年の今ごろも、同じように中国語版に翻訳した本をお送りいただいたのですが、前回のは「繁体字の中国語版」で、今回のは「簡体字の中国語版」のようです。
まあ、前回のは台湾版で、今回のは大陸版」と言ったところなんだと思います。
いずれにしても、自分の名前が記された出版物が、日本国内だけじゃなくて、いろんなところで出してもらえるのは嬉しいですし、ちょっと誇らしいです。

 新聞に載っちゃいました 8
東京新聞 2017年2月20日(月)付 発言欄(ミラー)
今月初め、京浜急行の新馬場駅を降りて取材撮影させていただくお店に向かっていると、品川神社の参道商店街でスイカカードが落ちているのを見つけました。
JR赤羽駅と新馬場の定期券にもなっていて、有効期限が4月までと2か月近くも残っています。
落とした人は、あとになって気づいて探すとしても、利用していることが明らかな新馬場駅に問い合わせするだろうことは、容易に察しがつきます。
それに、新馬場駅から電車に乗るときに出そうとした定期券が見当たらなかったら、その場で改札脇の窓口を尋ねると思うのです。
ですから、新馬場駅の窓口に届けたのですが、駅員は「構外の落し物は受け取れない」と言い張りやがりました。

「財布とかなら交番に届けるけど、新馬場を利用している人の定期なんだから、落としたことに気づけば、ここに来るでしょ」(長谷川)
「でも、駅の構外のものは受け取れない」(駅員)
「落とした人は、必ず、ここに来るから預かるべきです」(長谷川)
「いや。預かれません」(駅員)
と、やり合っているところに、女性が「定期券を落としてしまったのですが、届いていませんか」と駆け込んできました。
「え〜と」と言って長谷川の手元を見る駅員。
「●●(女性の名前)と言います。落し物で届いていないでしょうか」と駅員に問いかける女性。
「あっ。ここに書かれている名前と同じですね」と、手にするスイカカード定期券を目にする長谷川。
「私のです」(女性)
「おぉ。良かった、良かった。今届けたのですが、駅員さんが受け取れないと言い張るので、交番に届けようと思っていたのです」(長谷川)
「ありがとうございます」(女性)
「渡しちゃっていいですよね」と駅員に確認する長谷川。
「はい」と小声の駅員。

ということの顛末が、先日の東京新聞に掲載されました。
なんというか、「人の思い」を忖度できないというか、慮ることができないというか、思慮深さがないのです。
こんなんで、「困っている人に声をかけましょう」って、よく言えたもんだって思います。
「こんなヤツらに言われたかなねぇぞ」って思うのす。

今回の出来事は、私怨私憤です。
でも、きちんと「社会問題」というような書き方をすれば、きちんと新聞は取り上げてくれます。
キヤノンが間抜けなことをするので問合せしたら、間抜けな回答しか返ってきません。。
自宅裏の耕作放棄地が燃えたことも、白岡市に問い合わせしましたが、やる気のない回答です。
いずれも私怨私憤ですが、見方書き方を社会問題に膨らましてやろうかと企んでします。

−−−−−−−−(以下は、今回の掲載文の原文です)−−−−−−−−

京浜急行の新馬場駅を下車し、取材撮影の現場へ向かう途中、駅を出てすぐにある参道通り商店街の歩道にスイカカードが落ちているのを見つけた。
赤羽駅と新馬場駅の定期券で、有効期限が4月までと2ヵ月近くも残ってる。チャージもしていたら、落とし主は慌てていることだろう。
そこで、定期区間から推測して、「新馬場駅は必ず利用するだろうから、駅に届けておけば良い」と思い、改札脇の窓口に持って行った。
ところが、駅員は「構内での落し物は預かるが、構外に落ちていたものは受け取れない」と厳に言うのである。
「駅の利用者のものだから、受け取って“定期券を預かってる”と張り紙しておけば、落とし主が尋ねてくるだろう」「でも、預かれない」などと押し問答をしている矢先。
「定期を失くしたのですが、届いてまいせんか」と、窓口へ女性が駆け込んできた。
どうやら、紛失に気づいて探していたようで、「受け取れない」と言い張っていた駅員の目の前で、スイカ定期券を持ち主のもとへ無事に戻すことができた。
今、公共交通機関各社では、「困っている人には手を差し伸べよう」という旨を呼びかけている。
身体的なことではなくとも、定期券を紛失した人も「困っている人」の範疇に入るのではないだろうか。ほかにも、行き慣れない場所では電車の乗り場がわからず困ることもある。
「手を差し伸べよう」と呼びかける側が、困っている人の気持ちを想像したり寄り添えないのでは、てんで話にならない。
構外の落し物を受け取らないのは、京浜急行の規定なのか駅員の資質の問題かはわからない。しかし、いずれにしても、困っている人への想像や配慮が著しく欠如しているということだけは間違いない。

 文学賞の最終選考にノミネート!
選考結果の書類
ボクが書いた小説が、文学賞の最終選考にノミネートされました。
まあ、文学賞と言っても、直木賞とかノーベル文学賞とか、でっかい賞ではなく、岡山県笠岡市教育委員会が主催する「木山捷平文学選奨短編小説賞」というものです。

それに、「最終選考の10作に残った」というだけです。
けっして、受賞したというわけではありません。

あと、年明けの1月18日に選考会議があり、その日の午後5時に「受賞者のみ」に電話があり、電話がなければ「選外」ということのようです。
なんか、電話があるのかないのか、ヤキモキしなければならないのは、気もそぞろというか、もやもやしてます。
もやもやしながらの年越しっていうのも、なんだかなあとも思います。

でも、初めて書いた小説が、最終選考にノミネートされただけでも、とても嬉しいですし、ちょっと誇らしく思います。

あぁ。
でも、やっぱり、もやもやします。

 新聞に載っちゃいました 7
東京新聞 2016年6月18日(土)付 発言欄(ミラー)
東京新聞の朝刊に載っちゃいました。
参議院議員選挙を前に、政権批判です。
銀行から金を借りて返さなければ、借金取りに追われるのは当然のことです。
でも!
「こういう政策のために票を入れてくれ」と宣い続けて当選しても、誰も何も成果を出せないくせに責任を取らないことに、ボクはずっと激怒し続け、呆れ果てています。

経営者は「事業のために金を」と銀行から融資を受ければ、計画どおりに収益を上げて返済しなければならないし、ほとんどの経営者は返済しているのです。
そして、もし経営に失敗して返済できなければ倒産であり、破産という責め苦を受けなければならないのです。
同断で、「事業のために金を」ではなく「政策のために票を」と言葉を入れ替えて議会に入るのが政治家であるのなら、掲げた政策を実行しなければならないはずです。
では、どれだけの政策を実現させたのかといえば、ちっちゃい字で書いていた「戦争法案の成立」くらいのものです。

という発露で書いた文を東京新聞に送りました。
まあ、政権与党の議員たちには激怒していますが、野党の潮垂れなダメさ加減にこそ、呆れ果ているのですけどね。
与党には怒りの感情しか湧いてこず、野党には所期するものはないのだから、政治不信とか無関心とか、投票率の低下とかになるのだと思います。
ほんと、国も地方も、議員たちって莫迦ばっかりであり、不要であり不用です。

そうそう。
今回は、「子育て世代からは「日本、死ね」と」と書いたら、子育て世代からは「保育園落ちた」に修整されちゃいました。
あと、文字数をオーバーしているので、編集されてしまいました。
まあ、言いたいことはいっぱいあるから、ついつい文字数が増えてしまったのは致し方ないって思います。

−−−−−−−−(以下は、今回の掲載文の原文です)−−−−−−−−

企業が事業を拡大したり、会社を新たに設立して起業したりするときの資金として銀行から融資を受ける。このとき、事業計画書や資金計算書など細緻で綿密な書類を提出し、詳細で厳格な審査を経て融資が実現する。
そして、融資を受けた者は、計画書どおりに事業を行なって収益を上げ、その利益の中から決められた金額を返済していく。しかし、もし計画書どおりに収益を上げることができず返済が滞れば倒産であり、融資を受けた者は破産や一家離散など窮境に陥ることになる。
すなわち、「事業を行なうために金を貸してほしい」と願い出て融資を受けても、返済できなければ何らかの責めを負うのだ。
ところが、「政策を実現するために票を入れてほしい」と宣い続けて当選し、政策が現実のものにならなくても何ら責めを負わないのが、議員であり総理大臣なのである。
「景気を回復させ、地方を豊かにし、女性に活躍の場を与える」ということが、融資を受けるために提出する事業計画書に当てはまる自民党の選挙公約ではなかったのか。
世論調査では景気回復を実感できない人が6割以上もいて、都市と地方との格差は広がる一方で、子育て世代からは「日本、死ね」と呟かれてしまう始末である。あまつさえ、消費税引き上げ再延期の原因を「リーマンショック直前並みの景気」と嘯くことは笑止千万だ。
「リーマンショックのような状況になった」のではなく、「そうなるかもしれない」という未然を言い訳にしたら、「大災害の予想」「戦争が予測」とずっと再延期になってしまう。第一、「世界経済はおおむね堅調」という見解が国際的には大方である。これではまるで、政府与党の議員たちが「僕は悪くないもん」と駄々をこねる幼児に見えてくる。
自分たちが掲げた政策が実現できないのは見通しが甘かったのであり、なんの責を負うことなく平気の平左で議員の席にしがみついているのは鼻持ちならない。
どんな理由でも返済ができなければ「次の融資」を銀行がしないように、与党の議員たちに「次の票」を入れることは絶対にない。


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By;Osamu Hasegawa